おまけショート/可愛い兄のしつけかた

可愛い兄のしつけかた (プラチナ文庫)

  • 著者/訳者:渡海 奈穂
  • 出版社:プランタン出版 ( 2016-12-12 )
  • 文庫:299 ページ

ご感想いただいたり、お手紙を転送していただいたりして、嬉しかったのでぺろっと短いお話を書いてみました。
私の話は、とりわけ兄弟ものは、たぶんかなり人を選ぶんだろうなあという感触なので、好きですと言っていただけると本当にものすごく嬉しいです。
なんてことない日常的なアレですが、よかったらお暇な時にでもお読みください。

可愛い兄のしつけかたおまけ

  目が覚めた時には昼を過ぎていた。正月二日。元旦の昨日は友人連中と初詣に行ったあと夜通し飲んで、家に帰ってきたのは明け方になってからだ。両親はまだ目を覚ます前で、博哉も自室のベッドに潜り込み、ぐっすり眠って、起きた時には午後一時を回っていたのだ。
  寝間着姿で大あくびをしながら自室を出て、階下のダイニングに向かう。
「おはよー……」
「何がおはようだ、何時だと思ってる。正月だからとだらしない生活をするんじゃない」
  ドアを開けて朝の挨拶をしてみれば、帰ってきたのはそんな父親のお小言だ。日頃多忙な会社勤めの父も、年末年始は休養だ。お説教を覚悟しており、かつそれに慣れっこだった博哉は、なるべく殊勝に見えるように頷いた。眠たい目を擦りながらだが。
「はあい、気をつけます……」
「博哉、おせちの残りかお餅でいい?  それとも、パンにする?」
  本人が思っている以上にいい加減に聞こえる博哉の返答に、父親がさらに怒り出すのを阻むように、母親の声が割って入る。博哉はまた欠伸をしながらダイニングテーブルの椅子に座る。眠たいのと宿酔いのせいで、まだ目が開かない。
「んー、パン……コーヒー、ミルクたっぷりで……」
「コーヒーくらい自分で入れろ。相変わらず自堕落だな、おまえは」
「――」
  再びやってきた小言の声は、父親のものではない。
  博哉は一気に目の覚める思いで、父親の視線を無視するように伏せていた顔を上げた。
  目の前、テーブルを挟んだ向かい側に、久々に会う人の姿があることに、博哉はようやく気づく。
  雪成は冷淡な眼差しを七つ年下の弟に向けていた。言葉通り正月早々自堕落な生活をしている博哉に呆れたのか、それとも今の今まで自分が帰省していることに気づかなかった博哉に呆れているのか――もしくは、久しぶりに博哉に再会できた喜びが両親に伝わらないよう、自制しているせいで冷たい態度になってしまっているのか。
(なりちゃん)
  博哉も、兄の姿を見て滅茶苦茶に顔を綻ばせそうになるのを、必死に我慢した。そうしなければ、大好きなおやつを目の前にぶら下げられた犬みたいに雪成に飛びついて、まとわりついて、顔中体中噛みまくってしまいそうだった。
(そうだ、なりちゃん今日、帰ってくるんだった)
  仕事の都合で――という建前で――去年家を出た兄が、正月には帰省すると、博哉もあらかじめ聞いていた。だが予定では三日の朝のはずだったのに、どうやら一日早まったらしい。
  こんなことならゆうべ夜遊びなんてせずに、さっさと家に帰っていればよかった、と母親の入れてくれたコーヒーを胃に流し込みながら博哉は悔やむ。雪成が戻ってくるのが待ちきれず、それまでの時間をやり過ごすために、進んで酔っ払ってしまった。
(ひと月ぶり。もっとか)
  先月は一度も雪成に会えなかった。新幹線と電車を乗り継がなければ会えない距離に行ってしまった兄に、それでも博哉はどうにかこうにか月に一度は会おうと努力した。だがアルバイトをしているとはいえ金銭面で厳しく、お互い大学と仕事の予定が合わず、結局会いに行けるのはふた月に一遍がいいところだった。先月も、せっかくクリスマスという一大イベントがあるというのに、雪成の出張に重なって、会えなかった。
  本当は、雪成の仕事の予定にだけ合わせて、自分の課題だの試験だの就職ガイダンスだのの予定なんてかなぐり捨てて、会いに行きたかった。
  だが「精神的にも金銭的にも自立した大人にならなければ同居しない」と雪成から言い渡されているのだ。雪成だって博哉にめろめろのくせに、変に頑固だったり潔癖だったりするから、一度宣言したことは絶対に覆さないと博哉にもわかっている。だから博哉は必死に我慢して、我慢して、会えない寂しさも「大学卒業して就職できたら同居してもらえる」という餌を食べることだけを楽しみに日々を過ごしていた。
「もうすぐ行田のおじさんたちが来るから、少し急いで食べてね」
「へーい」
  母親はダイニングと間続きになっているリビングに、せっせと正月料理を並べている。この家は父が祖父母から継いだものなので、正月や盆になれば父の兄弟やその他の親戚が集まる場になる。母親はそのための支度をしているようだ。
「雪成、仕事や暮らしはどうだ」
  自分の親戚の集まりのために働き回っている妻を手伝おうともせず、父が雪成に訊ねる。二人ともすでに食事は済ませているらしく、今はお茶を飲んでいる。
「順調です。今は取引先が国内ばかりなので以前よりも余裕がありますから。家事をする時間もあります」
  だったらもうちょっと俺に構ってよ――などと両親の前では決して言えない甘ったれたことを、博哉はパンを囓りながら思う。
「そうか。雪成はどこにいても心配ないな。博哉、おまえはどうなんだ。来年は三年生になるんだ、もう就職の準備を始めないとならないだろうが、将来のことはどう考えている」
  雪成がそつなく返答したおかげで、今度は博哉にお鉢が回ってきてしまった。
「俺もまあ、適当に、それなりに」
「何だ、そのいい加減な返事は」
  それこそ適当にやり過ごそうとした博哉を、父親が叱責する。大体この父親から叱られる以外の用件で声をかけられた覚えが、博哉にはなかった。何を言われたところで気にならなかったのでどうでもいいのだが、面倒は面倒だ。
「いろいろやりたいことあって、迷ってんだよな。そうだ兄貴、仕事のこととか、いろいろ聞かせてよ」
  思いつきで博哉はそう口にする。雪成が小さく眉を上げたように見えたが、隣に座る父親も、せっせと客を迎える支度をしている母親も、そんな長男のささやかな表情の変化には気づかなかっただろう。
「おまえの成績でうちの会社に入れるとでも思ってるのか。話したところで参考になんてなるのか?」
  見下すような言葉、声音。この家にいた頃の雪成そのままの態度。すげえな、と雪成は感嘆した。
(すげえななりちゃんは、こんな言葉、そんな顔で言うんだから)
  口調に反して雪成が博哉を見る目は妙に優しいというか、まるでできのいい犬を褒める時の飼い主みたいなものに見える。博哉は、自分もわざと不貞腐れたように唇を尖らせてみた。
「いいじゃん、減るもんじゃないんだし。ケチ」
「何だ、兄に向かってその言い種は。大体これから客が来るのに寝間着のままで、だらしない」
「着替えるって。ほら母さんの邪魔になるから、上行こうぜ」
「……まったく……」
  溜息交じりに言って、雪成が椅子を立ち上がると、自分の分の湯呑みをシンクに下げてからダイニングを出る。博哉もコーヒーを飲み干してそれに続いた。雪成はさっさと二階の奥にある自室に入ってしまった。博哉も自室に飛び込み、大急ぎで服を着替えるとすぐに廊下に出て、雪成の部屋のドアを叩いた。
「なりちゃん」
  小声で、ドア越しに呼びかける。
  待つまでもなくドアノブが動いた。博哉は開きかけたドアの隙間に手を突っ込み、素早く雪成の部屋の中に身を滑らせる。あまりの勢いに雪成が小さく目を瞠る表情を視界の隅で見ながら、有無を言わせず、ぎゅうぎゅうと兄の体を抱き締めた。
「待て、馬鹿。ドアを閉めろ」
  耳許で囁く雪成の声音は、博哉を叱りつけるようなものなのに、どこか甘さを孕んでいる。博哉はもどかしい気分で後ろ手にドアを閉め、改めて両手で雪成の体を抱き締める。
「あけましておめでとう、なりちゃん」
  携帯電話のメッセージアプリを通じて挨拶はしたが、直接言うのは今年初だ。
  強い力でしがみついてくる博哉を宥めるように、雪成がぽんぽんと頭を叩いてくる。
「ああ」
「今年もよろしく――」
  言いながら博哉は少し腕の力を緩め、埋めていた雪成の肩口から起こした顔を、改めて相手の顔に近づけた。
  すぐに目を閉じるかな、と思っていたが、雪成は間近でじっと博哉をみつめている。
  その熱っぽい眼差しに、博哉もみとれた。両親の前では、今まで通り弟に素っ気ない兄の態度を貫いていたのが、嘘みたいだ。
  ぎりぎりまで見つめ合って、唇が触れ合う頃にようやくお互い目を閉じる。
「……ん……」
  博哉は我慢できず、最初から貪るようなキスをした。舌で雪成の唇を捻じ開け、相手の舌を探る。雪成の動きは遠慮がちだった。久しぶりで照れてるのかな、それともやり方を忘れちゃったのかな、と思いつつ遠慮のない動きで相手の口中や舌を嬲っていると、突然ぴしゃりと額を掌で叩かれた。
「痛てっ」
「――これくらいに、しておけ。すぐに客が来るんだぞ」
  窘められ、博哉はしぶしぶ雪成から顔を離した。
  だが雪成の方だって潤んだ目で、どこか物足りなそうな顔をしていたから、このまま強引に続けてしまいたい衝動に駆られる。
「ばれたらご破算」
  そんな弟の気持ちを見抜いたように、雪成がぼそりと呟く。博哉は慌てて背筋を伸ばした。
  同居の条件は、きちんと大学を卒業すること、やりたい仕事に就くこと、そして両親にお互いの関係――兄弟の枠を力一杯踏み越えて、体の関係にまで到っていること――を隠し通すこと、だ。
  そのどれかひとつでも足りなければ、雪成は博哉から逃げて完全に行方を眩ませる覚悟だ。そして実際にそれをやられたことのある博哉は、一時の衝動と快楽に流されそうになるのを、あやうくのところで踏み止まった。
「……今日、泊まってくだろ?」
  それでも雪成とは離れがたく、相手の体を腕で抱きながら訊ねる。
  雪成もこちらに凭れてくるから博哉は「なりちゃんは冷たい」などと見当外れの不満を抱いて拗ねずにすんだし、逆にそんな兄が可愛すぎて今すぐベッドに引っ張り込みたくなるさらなる衝動と戦わなくてはならなかったし、大変だ。
「泊まるけど、……何もしないぞ」
「……うう……」
「唸るな、動物でもあるまいし」
「どうせ父さんも母さんも二階には上がってこないだろ……」
「行田の叔父さんたちが来るなら、泊まっていくだろ」
「ううう……」
  雪成の部屋と博哉の部屋は二階の端と端に位置していて、間に客間がある。母親が掃除をしたり洗濯物を干す時以外で、両親は滅多に二階にまで上がってこないが、客がいれば話は別だ。
  たったそれだけのやりとりをしている間にも、階下が騒がしくなった。親戚がやってきてしまったのだ。
「もう来たのかあ……」
「もっと早く起きてくればよかっただろう」
  残念な気持ちで言う博哉に、雪成の呟きは少し拗ねたふうに聞こえる。可愛い。
「だって今日帰ってくると思わなかったし。三日になるって言ってたじゃん」
  その理由を雪成は言わなかったが、多分、親戚が大勢集まったところで自分たちの関係がばれないための配慮だろうなと、博哉は察していた。何しろ博哉は雪成曰く「馬鹿、いや、素直すぎる」だ。その自覚というか、恐れは博哉も持っていた。親戚の間でも、雪成と博哉はあまり仲がよくないことが知られている。一緒の部屋にいたって会話もしないし、視線すら交わさないのだ。不仲なのは博哉が小学校に上がるまで離ればなれに暮らしていたからではないかと、原因もあれこれ噂されているだろう。なのに今年に限って博哉が「なりちゃん、なりちゃん」と尻尾を振って雪成にまとわりつくようなことがあれば、怪しまれるに決まっている。
「……繰り上げてきたんだ。三日のチケットを早割で取ってたのに」
  今度は雪成が、博哉の肩に額を預けながら言う。兄弟だが、雪成の方が博哉より少しだけ小柄で、背が低い。
「俺に会いたくて?」
  半ば冗談、からかうつもりで訊ねたのに、雪成が黙り込むものだから、博哉はやけに照れ臭くなって、目許が熱くなるのを感じた。
「……決まってるだろう」
  おまけで追い打ちだ。
  ずっとずっと、長い間弟に冷たかったくせに、恋人になってからの雪成はそれこそ素直だし、なのにやっぱり偉そうな態度は崩さないし、そういうところが可愛くて可愛くて、博哉は無闇に叫び出したいような気分に駆られる。
  そんなことをすれば、親戚には変に思われるだろうし、母親が飛んでくるだろうし、このささやかな時間を邪魔されてしまうだろうから、堪えるが。
「博哉、雪成、行田のおじさんたちがいらっしゃったわよ――」
  二人して今さら、本当に今さら照れくさい気分で身を寄せ合っていると、階下から母親の声がした。
  先に、雪成の方が博哉に凭れていた身を起こす。
「行かないと」
「……うん」
  雪成に促され、しぶしぶ博哉は頷いた。
  そんな弟の尖りがちな唇に、雪成が掠めるようなキスを一瞬、寄越す。
「今月末の土日は、時間ができるから。そこまで我慢しろ」
  博哉の頬を少し乱暴に擦りながら雪成が言って、博哉はまたしぶしぶながらに頷いた。
「わかった。叔父さんたちの前でなりちゃん襲ったりしないように、死に物狂いで頑張る」
「よし」
  偉そうな雪成の頷き。雪成はいつまで経っても兄としての態度を絶対に崩そうとしないが、博哉はそういう雪成が好きなので、問題がない。そういう兄に甘やかされる瞬間が、そういう兄が自分に甘えて何かをねだるような姿を見る時が、最高にたまらないのだ。
「俺が先に降りる。おまえはもうちょっと……顔でも洗って、その甘ったるい表情をどうにかしてから来い」
  今度はぺちぺちと博哉の頬を掌で軽く叩きながら雪成が言う。
  博哉の目に映る雪成だって、充分「甘ったるい」表情をしていたが、なにしろそつのないこの兄のことだ。階段を降りて親戚の前で挨拶をするまでには、いつもどおりのしっかり者で、賢くて、少し冷たく見える態度に戻れるだろう。
「わかった。頑張る」
  こくりと頷く博哉を見る雪成の目が、一瞬細くなる。可愛いものを見る目で自分を見る雪成のことも、博哉は大好きだ。
  最後にしつこく博哉がキスを落とすと、雪成は大人しく目を閉じてそれを受ける。それから、宣言どおり先に部屋を出ていった。
「……あー、我慢できるかなあ、マジで……」
  兄を見送りながら、博哉は頭を抱えて呟いた。
  しばらくぶりに会う兄は、前よりさらに可愛さを増している気がする。七つも年上のくせに。どちらかと言えば綺麗な顔だし黙っていれば冷たい態度だし特に人前で博哉と接する時は冷淡という以上にとげとげしくて嫌みなのに、二人きりになった時はああだから、困る。
(でも今後のために、頑張らないと)
  前に雪成から据えられたお灸は、まだ嫌と言うほど聞いている。雪成といちゃいちゃできないのは寂しかったが、それ以上に、二度と雪成と会えない方が駄目だ。無理だ。
「よし!」
  気合いを入れるためん、博哉は自分の頬を叩く。
  そして親戚の前で、両親の前で、今までどおりぎすぎすした兄弟を演じるため、自分もまた、兄の部屋を出ていった。

お礼というには私がたのしいばかりのショートでした。
メールやお手紙にはそのうちお返事すると思いますので、よかったら気長にお待ちください。

あとどうでもいいけどこれポメラで書いてみた。
ショート書く分にはちょうどいい感触かな~。