海野つなみ「逃げるは恥だが役に立つ」

結構前に上げてすぐ非公開にしちゃってたんだけど、はてなからのサルベージついでに公開です。
2016年に書いたっぽいので話題が古いがまあいい。
近況以外の別のはてなブログでも少し本の感想上げてたやつがあるので、ちまちまこっちにログを移していきます。
話題が古すぎてリンク切れてるところがあるわ。



漫画の方の広告バナーで面白そうだなと思ってて、買おうかどうか迷っているところに「あ、これ最近みんなが見てるドラマのやつだ」と気付いてから、公式のダイジェスト

※リンク切れ

を見て、すごく面白くて間とか先が気になったので原作を買ってみたのでした。
ドラマはこのダイジェストと8話しか観てないんですが、いやー最初から観ておけばよかった…。
知ってたけど新垣結衣は天使ですね…女神かな…いや天使かな…。
マイ☆ボス マイ☆ヒーローの時の梅村さんがあまりに可愛すぎたので


つい梅村というキャラを作ったりしてましたが(モデルというわけでは全然なくてちょうど名前を考えてる時期だったので使わせてもらっただけです)、あれからずいぶん経ってもやっぱり新垣結衣は天使だった…つらい…一体どんな徳を詰めば新垣結衣が家事代行で家に来てくれるんだ…。
気持ち悪い話をしますが私はよくそういう妄想をします…逃げ恥の設定だとちょっと年齢が上すぎるんですけど…行くところのない私のことを大好きな女子高生が住み込みで家事やってくれないかなって…。


押しかけお手伝いさんでこの話が大好きなんですけど、これのせいで幼少期にすり込まれているのかもしれない。知らんけど。

先にドラマを(一部)観てからの原作一気読みでしたが、ドラマはドラマの、原作は原作のおもしろいところがそれぞれすごくツボに嵌まる感じで描かれていて、どちらも好きだな〜と思いました。
自分自身がさして「愛されたい」「必要とされたい」という気持ちを持っていないので1)そういう自分に危機感を抱いてはいるので、口癖のように「モテたい」と実のないことを叫んではいる。
「必要とされたい、と思わなくてはいけない」という意味不明な強迫観念が強まる…
、最近承認欲求がどうこうの話題とか作品を観てウーンってなってたんですが、このお話は愛されたい・必要とされたいと思う人たちが転げ回りながらも割と前向きに求めるようになってる感じなので、すごく気持ちいいなと思います。
承認欲求が強い割に何もしないでネガティブなことばっかり言ってる人を最近見飽きていてな!!

でも、かわいいな、キュンキュンするな、と楽しんでいたんですが、Twitterでこういう記事に関する話題を目にして


そうかこういうところまで考えないと怒られる時代なのか…と、結局窮屈な心地になってしまった。

「男なのに何やってんだ!」っていうのは、これまでの平匡とみくりの関係を考えた上で、ここは平匡がいろいろ気付いて自分のためにもみくりのためにも受け入れた方がお互いの幸せだろ、というのが凝縮されている言葉だろうなと思う。
でもそこに「性別」を入れ込んでしまったのは軽率なのかもしれんし、平匡はそういうところに傷つけられて、あるいは傷つけられまいとして生きてきた結果の「ひとり」だったんだろうから、話題に出るのは仕方ないというか当然なのだとは思います。
作品自体が、男の役割・女の役割・年齢について・結婚について、という一般的な認識に対するアンチテーゼになってるのは記事にもあるとおり明白なんですが。

だから問題提起がなされるのは本当に自然なことで、でも、それを女性全体・男性全体の話題にして1かゼロかしか求めない人にはげんなりする。
シン・ゴジラの時の尾頭さんの二次創作における弁当問題とか、フリージェンダーのトイレのマークのこととか、性別のことが話題になるたびにものすごい過剰反応する流れができて、それがすごくめんどくさいと言ったら怒られるだろうか。怒られるだろうな。
でももう頭ごなしに無神経や無理解を怒る人たちを見るのに疲れてしまったよ。

(そろそろ誤解されそうなので明記しておきますが、平匡役の人が言ったのは至極当然のことで、作品や役柄について真摯に取り組んだからこそ出る言葉だろうなとすごく好感を持っています)

一対一でいいと思うんですよ。男なんだから、という言葉に対しては、そうじゃなくて、津崎平匡という個人を見てくれと返す感じで。
記事を受けての議論で、「平匡に対して『男なんだから』というのは平匡を苦しめるから止めよう」というのは全然わかる流れなんだけど、「平匡に対して『男なんだから』というのは性差別などに苦しむ人たちに失礼だから慎むべきだ!」みたいにいきなり話題がねじ曲がるのが嫌なんだろうと思います。自分が。
平匡が苦しんできたのは、男の役割を押しつけられることじゃなくて、津崎平匡個人を見て、愛してくれる人に出会えなかったからじゃないのか。

ラジオを聞いていないので、平匡役の人がどういうニュアンスで言ったのか文字だけではわからないんだけど、「津崎平匡を見てほしいのに結局『男なんだから』というところに辿り着いてしまうのか」という素直な驚きがあったんじゃないかな、どうかな。えっ、そこなんだ? この作品を楽しく見てくれてるはずなのにそんな感想になっちゃうんだ? っていう。
それに対する反応は、「そうか、こう言うと平匡を傷つけてしまうんだな」という反省であったり、「そういうこと気にするからおまえはずっと一人なんだよ」という罵倒であったりするのが私にとってはしっくりくる流れで2)罵倒していいとも思わんけど3)架空の人物に対してあたりまえのように語りかけている体なのは、記事が平匡に対する批難の言葉という形で説明されていたからです、なのにそこから一気にジェンダー論になってしまうのがものすごく据わりが悪い…。
「男なんだから、という大きな括りになってしまう」っていう話題に対して、「そうだそうだ、そういう括りで見てはいけない」と頷きつつ、最終的には「男なんだからという目で見る大勢の人たち」という大きな括りの存在に対する議論になってるふうに感じられて、どうにも落ち着かない4)個人レベルで語ってる人も大勢いたけど、大きな話題にしたがってる人の方が、どうしても目についてしまう

もうめんどくさいついでに、上の話題とはちょっとずれてるところでのめんどくさい話を続けますが、シン・ゴジラの時の尾頭さんの弁当問題って、

ウワーめんどくさい。
ジェンダーの押しつけ!って断じるには「弁当を作るのは女性の役割である」っていう固定観念がまず批難する方にあるからだろうなと、私は思っています。
弁当を作る尾頭さん萌え!っていう言ってる方の感覚は「ジェンダーとしての役割を持たない尾頭さんがあえて女性らしさを発揮するところ」「一匹狼であるはずの尾頭さんが仲間に対する信頼を見せ歩み寄るところ」に対するギャップ萌えで、そもそも「役割を持たない」ところが出発点だと思うんだけど、文句言ってる方は「女性が弁当を作るもの」っていう頭がはなっからあるんだろうなっていう。
尾頭さんが尾頭さんなのに弁当作ってる、ってところに萌えるんだよ。尾頭さんに女性の役割を押しつけてるんじゃないんだよ。
男性役の人がお弁当を作ってくるネタにもきっとというか確実に萌えるよ私は。志村が矢口にお弁当作ってきたら床を転がりながら萌えゲロを吐くよっていうか絶対あいつ!作ってるよ!作ってなくても作りたいと思ってるんじゃないかなあ!?とか邪推するよ!!

ごめん一度落ち着くね…。
あと二次創作がそもそも「原作ではない部分を描く」というやり方もある遊びだから、「原作の尾頭さんはこんなことしない!」っていう指摘自体が「まあしないんですけど…」としか答えようがないなとか思ったりもするけど、そこも含んで話し出すとわけわかんなくなるので意図的に割愛してます。
たとえばスピンオフ作品で公式が「尾頭さんがみんなのためにお弁当を作る」っていうシーンを撮影して公開してしまったら不満が噴出するだろうなと思うけど、それはキャラがブレているのではという疑問になるだろうから、性別の問題ともまた違うだろうし、触れません。

で、話を戻して、たとえば矢口が全員分のお茶を淹れても文句が出ないなら、じゃあそれも性の押しつけではないのだろうか…って多分もう議論されてるとは思うんだけど、どうなんだろうかと考えてしまいます。
「お茶を淹れるのは女の役目」だからという前提があって、「女性ではない」矢口が淹れることが差別に「ならない」のであれば、結局それは「お茶を淹れるのは女の役目である」という固定観念の肯定になるのではないのか。
でもそうなると「被害者」はどこにいて、誰が傷ついてるんだろう。
矢口がお茶を淹れて「男のくせにお茶を淹れてる」って言われるのは比較的わかりやすい性差別だと思うけど5)でも正直、それが女性差別になるのか、男性差別になるのか、よくわからない、「女がやるべきことを男である矢口がやるから差別ではないというのは女性に対する差別」みたいになると、もう何をどうしていいのかわからんな。

みたいなことをね! 考え始めてしまうから、めんどくさいです、一番めんどくさいのは私のそういう頭なのはわかっている。
私はただ新垣結衣の可愛さを愛でていたいだけなのだ…。
新垣結衣はかわいいなあ、カットソーに見えるおっぱいの膨らみが最高だなあ、と思いつつ、頭の片隅で「女性という性を売り物にしていることについてものすごく怒る人たち」がちらついてしまって、堪能できん。
そしてこういうことを書くと、「わたしがめんどくさい思いをしたくないからわたしに配慮しろ」と言っていると断じられて怒られるんだろうなあ、と思ってしまって、何も言えなくなる。今色々言ってるけど。
でも私はもし矢口さんがみんなの分のお茶を淹れたとしたら萌えるよ。よれよれの臭いスーツで、眠そうな尾頭さんの机に無言でコーヒーの入ったカップを置いて、それを飲んだ尾頭さんが「おいしくないです」って言って矢口さんが「そうか…」ってそこはかとなくしょんぼりしたらすごいキュンキュンする、っていう話を気軽にしたい。

ジェンダーに関して厳しい人から見たら、私はものすごく差別主義者なんだろうなと思う。
女性が女性らしくすることを前提として、女性らしさに見とれることもあり、そこから逸脱した言動に萌えることもあり、男性が女性らしさを垣間見せることに対してときめくこともあり、私の中ではどうしても「性別としての役割」があります。
お母さんには、お姉さんには、妹には、女友達には、酸いも甘いもかみ分けた水商売のお姉さんには、苦労を重ねて歳を取ったおばあさんには、こうあってほしいという理想がある。お父さんにはこうあってほしい。お兄さんには、弟には、同級生の男子には、男性の恋人には、男性の政治家には、という理想がある。あと夜道で女性にぴったり真後ろを歩かれる時の怖さと、男性にぴったり真後ろを歩かれる時の怖さの種類が違う。制服を着て電車で学校に通っていた時代、男性の痴漢にも女性の痴漢(痴女?)にも遭遇したけど、これも不快さの種類が違った。
性別によって、体格や力や能力や考え方の違いは絶対あると思っている。
すべてに関して同じ条件で生きろと言われても、百メートル走で男と同じレースに出て勝てるわけがないから無理。
不当な差別には腹が立つけど、性差を考慮しない平等なんてあり得ないと思っている。

多分私自身が性差別で生活を脅かされたり、自死を含めた命の危険まで考えることがない、幸せな環境にいたせいで、こういうことが書けてしまうんだろうなあということも思います。
女のくせにとか、女なんだから、っていうのは、おそらく世間の女性並に散々言われてきたけど、今は家に引き籠もって社会との繋がりを断っているような人生ですし、女性として社会で生きることの苦労を長らく味わっていないので、わかってないことが多いんだろう。
それでもし、性差別で苦しんでいる人が「おまえは幸せだからそんなことを言えるんだ」と怒ってくる時があるのなら、願わくば、「社会で生きる女性の苦労」「男性が男性として世の中で生きる辛さ」などではなく、面と向かって話してくれる本人の、個人の経験や気持ちを聞きたいです。

一般的に男性はこう、女性はこうという思い込みを持っているけど、でも親しい友人や一緒に行動する義務のある相手が、例えばだけど「男性にしては力が弱い」のであれば女性にしては力のある私が負担できるところを負担したり、「女性であることに苦しみを抱いている」のであればその人が何に傷ついてどうすれば楽になるのかをきちんと考えたい。
けど、説明してもらえなけりゃそもそも相手がどういう状況なのかすら私にはわからないので、求めるところがあるなら打ち明けた上で、望むところに配慮が行き届かなかったら怒ったり、どうすればそこに至れるのかを教えてほしい。
好きな相手は大事にしたい。あなたのことを尊重するので私のことも大事にしてほしい、と柔らかく求めてくれる人にはできる限り応えたい。
みたいなのはまあ単なる理想論で私はめんどくさいことからは全力で逃げるとは思うんですが。思うだけは思ってるよ。

何にせよ新垣結衣は本当に天使でしかないので、ドラマ楽しみですしコミックスの続きも待ち遠しいです。
着地点を見失ったのがありありとわかる日記でした。
語ったのが恥ずかしくなったら消すね…。

References
1 そういう自分に危機感を抱いてはいるので、口癖のように「モテたい」と実のないことを叫んではいる。
「必要とされたい、と思わなくてはいけない」という意味不明な強迫観念が強まる…
2 罵倒していいとも思わんけど
3 架空の人物に対してあたりまえのように語りかけている体なのは、記事が平匡に対する批難の言葉という形で説明されていたからです
4 個人レベルで語ってる人も大勢いたけど、大きな話題にしたがってる人の方が、どうしても目についてしまう
5 でも正直、それが女性差別になるのか、男性差別になるのか、よくわからない

まんが感想

Posted by eleki