今自分が子供だったら、と想像して、同じようにいろんなものが怖い子のことが心配になる

子供の頃、中学生に上がる時くらいまで、世の中のいろいろなものが怖かった。
まず最大級に怖かったのが、雷だ。
とにかく大きな音が駄目で、雷が近い時はもう両耳に人差し指を突っ込んで、爪をずっと擦りながら(こうすると雷の音がそこそこ消える)身動きも取れず蹲って泣くしかない。

元々大きな音が苦手なところに、近所のお寺に落雷して火事になったことで、駄目押しになった。
雷の予兆を感じ取るだけでもう無理だ。梅雨時の天気予報は死刑宣告のようなものだったし、近所の人の「今日は夕立が来そうね」という井戸端会議の声を家のトイレの中で聞いて、動けなくなって、ずっとトイレの中にいたりもした。

そんな調子なので、学校にいる時に雷が鳴ると、もう授業どころじゃない。
夕立のたびに私が授業を聞かなくなるので、学級会で私をどうするべきかが議題になったくらいだ。
あの学級会は結局どうやってまとめたんだったかなあ。ちょうど雷が鳴ってる時だったので(だから議題に上がった)、私は耳を塞いで何も聞いてなかった。

次に怖かったのが、飛行機の音。
これは轟音が怖いというわけではなく、特に青空の日に飛行機が飛んでいるのを見ると、「原爆が落ちてきて死ぬ」という強迫観念に駆られたせいだ。
当時、学級文庫に置かれていた「はだしのゲン」と、家にあった「飛ぶ教室」というひらまつつとむの漫画を読んだせいだと思う。
前者は言うまでもなく広島の原爆の話、「飛ぶ教室」は現代で核戦争が起こり、小学校のクラスメイトと先生がたまたまシェルターに逃げ込んで助かるが、外は死の灰が降り…というような、子供向けにしてはヘビーな内容だった。
つまりは飛行機というより、原爆が怖かった。
一年近く、飛行機の音がするたびに、ピカが来ても即死を免れるよう物陰を探して蹲り、爆風で鼓膜が破れないよう耳を押さえ、目が飛び出さないよう指で瞼を押さえ、口を開けた。

その他にも怖いものがありすぎた。
母親が帰ってくる時のバイクの音とか。階段を上ってくる足音とか。
でも帰りが遅くなった時に、もしかしたら事故にあって死んでしまったのではと想像して、吐くほど怯えたりとか。
怖い夢を頻繁に見た。そのたび寝つけなくなって泣いた。
蜂も怖かった。何しろすでに二回刺されたことがあるので、きっと次に刺された時にアナフィラキシーショックで死んでしまうだろうと思い、服を着る前は気が狂ったように確認した。道を歩いている時に虫の羽音がした途端走り出し、ジャンプして、暴れて、蜂を追い払おうとした。多分はたから見たらヤバい子供だった。

総じて、「死ぬ」という印象に繋がるもののすべてが怖ろしかったのだと思う。
大体の子供は大人よりも「死」という概念が怖くて、闇雲に怯えるものかもしれないけれど、私はそれが特に顕著だったのかもしれない。

大人からしてみれば、自分が子供の頃にいろんなことが怖かったなんてとっくに忘れて、些細なことで竦み上がる子供が面倒で、意味不明で、滑稽なものかもしれない。
子供の頃の私は、恐怖で体が竦んだ時にひとまず親に助けを求めようとするけど、大体は面倒がって無視されるか、うるさいと怒鳴られるか、邪魔だからくっつくなと突き飛ばされた。原爆の本を読んだせいで怖いと泣いたら、そんなものを読むおまえが悪いとしこたま怒られた。
それが恐怖の上塗りになって、ある程度成長するまで、毎日が本当に辛かった。
大人に怯える姿を見せたら怒られる。笑われる。でも怖い。どうしよう、でパニックになる。

私が今そんな感じの子供だったら、毎日毎日、ニュースを見るたびに吐くほど怯えただろうな…と想像して、あの頃の怖さを思い出してしまった。
きっと子供の私は、コロナに繋がる単語を聞いただけで、耳を塞ぎながらしゃがみ込んで、泣きじゃくったに違いない。

だからもし周りにそういう子供がいたら、とりあえず、「怖いんだね」って同意してあげて、抱き締めてあげてくれないかなあ、と思う。
そして面倒でなければ、できればでいいけど、具体的な対処法を教えてあげてほしい。
コロナに関しては、手を洗えば大丈夫、と言って、洗い方を教えてくれれば、勝手に熱心に洗うようになるので。

私の場合、雷に関しては、大人になって家にいるようになったので、音に対する恐怖以外はそこそこ克服した。
木造だった実家と違い、ここ十年くらいは頑丈な鉄骨マンションに住んでいるので、部屋にいる分には音もあまり聞こえない。
地響きがするほど近くで落雷があっても、どこかの避雷針に落ちるだけで、自分には落ちないし死なないと、自分を宥められるようになった。
ただそこに至るまではとにかく長かった。小学生の頃にお寺の落雷があり、中学生の頃はなぜかテレビで雷に関する実験番組のようなものがよく流れていて、高校生の頃は部活中の落雷で亡くなる事件が多発していて、私も知り合いの他校生が亡くなってしまった。大会に出てないなと思ったら、雷で亡くなったと聞いて、悲しいのと怖いので自分の競技どころではなくなった。
ちなみに私は走り高跳びをやっていたんだけど、大会中に雷が鳴ると、どんなに小さくてもろくな成績が出せなかった。怖すぎて飛べない。インターハイのかかった関東大会でも雷が鳴ったので自己ベストに遠く及ばず敗退した。負けて悔しいという気持ちよりも、生きて競技を終えられたことに安堵した。

飛行機に関しては、ある時「あ、最近は原水爆を落とそうとしたら飛行機に乗せるんじゃなくて、ボタンひとつで飛んでくるんだ」と気づいたら急に平気になった。
今考えると、ボタンひとつで何千人何万人の命を奪えてしまうかもしれないという状況の方がよほど怖いが。

こんな感じで、大丈夫だというはっきりした根拠があれば、お守りのように胸の中で繰り返して、怖いのをやり過ごせる。
普段あまり怖がらないタイプの子でも、今は何かと漠然とした不安がつきまとうようになっているかもしれないなあ、と思う。
本当にどうか、怖がっている様子を見せたら、いちいち怯えるなと怒ったり、怯えてる様子が滑稽だと笑いものにしたりせず、一緒に手を洗ったり、マスクを作ったりしてあげてください。
大人が思ってるより子供は本当に怖いんだよ。
面倒臭かったら、たとえば羽海野チカ先生が作ったポスターを渡してあげるだけでいいので。

エッセイ

Posted by eleki