こころなんてしりもしないで・第4話

「秋口、佐山との仕事、どうだ?」
 自分の机で書類を書いていたら、青木がやってきてそう声を掛けてきた。
「どうって、まあ、特に滞りもなくって感じですかね」
 手を止め、青木を見上げて秋口は答えた。
 青木は佐山たちよりさらに年上のベテランで、今のところ営業一課で最も成績のいい社員だ。次の人事異動で間違いなく昇進するだろうと言われている。
 入社以来仕事を教えてくれたのはこの青木で、秋口も彼に対しては一目置いていた。秋口の生意気な態度にも青木は懐が深く、たまに窘めつつも、仕事の飲み込みが早い後輩を可愛がっている。秋口が目に見えて孤立もせずに一課でやっていけるのは、青木の存在が大きかった。
 秋口としては、足でも引っ張られない限り、たとえ男社員と一日口を聞かない状態だって、別に構わなかったのだが。
「T社の宮原課長、寸前になってあちこち注文変えるのが好きだから、間違いなく連絡できるように気をつけておけよ」
 自分が前任していた仕事のせいだろう、青木は秋口にそう念を押した。引き継ぎの時も言われた台詞だ。
「今までの発注分も調べてあるし、やり方はわかります」
「そうか? ならいいんだけど。まあ、佐山がいるしな、何かあっても対処できるだろうし、大丈夫か」
 青木の言葉に、秋口は少しムッとした。
「俺の仕事じゃ、信用できませんか?」
 鼻っ柱の強い後輩の質問に、青木が鷹揚に笑った。
「そういうわけじゃないさ、ただ、佐山はT社との仕事に慣れてるし、営業の経験もあるしな。大抵の状況はフォローしてくれるから、秋口も安心して頼っていいってことだ」
 青木はもともと佐山を信頼しているらしく、引き継ぎの時から何かあったら彼に頼るよう言ってきた。
 沙和子といい、青木といい、それに御幸といい、どうしてあの貧相なメガネをそれほど評価するのか、秋口には不思議で仕方がない。
 第一印象だけではわからないかもしれないと、秋口は理由をつけて佐山に話しかけてみたものの、やっぱり最初に下した評価と何ら変わるところはなかった。妙に及び腰だし、会話はつまらないし、怒らせたら人が変わるかと試してみれば、どうしたって愛想笑いを浮かべて反論もしない。
 もし自分が後輩にあんな口を聞かれたら、嫌味の百や二百返して、再起不能にしてやるだろう。
「佐山さんって言えば」
 苛立ちを抑えつつ、秋口は青木に問いかけた。
「総務の雛川さんとつき合ってたって、本当ですか」
 総務部の他の女子社員にそれとなく訊ねてみたが、かなり前のことらしく、詳しくは知らないと言われてしまった。この会社が長い青木なら、少しは情報を持っているはずだ。
「ああ、だいぶ前にちらっとな。おまえが入社してくる前だよ」
 案の定、青木がすぐに頷いた。
「雛川さんの方からコナかけたんだよ、たしか。あの子が入社して以来、男連中みんな躍起になって誘おうとしてたんだけど、ずっと綺麗に躱してたから、外に彼氏がいるんだろうって話になってたんだけど」
 かく言う俺もフラレた口だ、と所帯持ちの青木がこっそり秋口に耳打ちする。
「二年くらい前かな、気づいたら雛川さんが佐山の周りによく顔見せるようになって、そのうちふたりで食堂行ったり、一緒に帰ったりするようになってたんだ。あん時は泣いた男が数知れずだよ」
「さぞかしみんな、口惜しがったでしょうね。佐山さんが相手じゃ」
「そりゃま、誰が相手でも、雛川さんを取られたら口惜しがるだろうけどな。俺は佐山だったら仕方がないって諦めたぜ、ひとりで我関せずの顔してたから、とんだ伏兵だとは思ったけど」
「雛川さんからコナかけたって……また、どうしてですかね」
「好みだったんじゃないか、単に。佐山は仕事できるしまじめだし、頼れるだろ。あと何だっけ、女の目からみたら、ああいうタイプは可愛いらしいぞ。俺はよくわからんけど」
 可愛いねえ、と秋口は佐山の姿を思い出しながら首を捻った。
「俺もよくわかりませんね」
「恋愛沙汰なんて、当人じゃなきゃわからないってことだな。結局半年くらいで別れちまったみたいだし」
「どうして別れたのか、知ってますか?」
「さあ。噂じゃ雛川さんの浮気ってことらしいけど、特に人前で愁嘆場を演じたわけでなし、気づいたらつき合ってたってみたいに気づいたら別れてたんだ。今じゃ滅多に顔も合わせないようだし、ふたりがつき合ってたなんて話に昇ることもなくなってきてるな」
 何しろ社員数の多い会社のこと、次から次へと噂話には尽きがない。
「それから佐山さんが他の恋人を作ったりとか、なかったんですか」
 秋口が訊ねると、青木が首を捻った。
「さあな、もともと佐山、そういう話は全然しないから。雛川さんとつき合ってた時も、やっかんだ男連中とか噂好きの女の子たちにいろいろ聞かれてたのに、笑ってるだけで詳しいことは教えてくれなかったしな。万が一社外に女がいたとしたって、必要としなければ頑として口を割らないタイプだ」
「そうか……?」
 今度は秋口が首を捻る番だった。あのいつもどこかしら落ち着かない様子の佐山だ、もしきつく問いつめたら、そのくらいのことへらへらしながら簡単に喋りそうだと思う。
「雛川さんの方は、総務部だか事業部だかの男とつき合ってるってちらっと噂流れたけどな。あんまり長く続かなかったみたいだ」
「それ以来フリー?」
「最近はちょっと相手の噂が出てる」
「へえ、誰です」
 青木が、秋口に向かってにやにやとおかしそうな顔をした。
「おまえ」
 秋口は軽く肩を竦めた。
「雛川さんの好みが佐山さんって言うんじゃ、俺はだいぶ外れてるんでしょうけど」
 かといって自分が佐山に負けている気は毛頭ないが、秋口は一応、そう謙遜した。
 青木が午後になって伸びてきた無精髭をてのひらで擦りながら、思案げに天井を見上げる。
「そうだなあ、佐山は芯がしっかりしてるし、苦労してきたっぽいから歳の割に落ち着いてるしな。雛川さんはあんまりキャピルンとしてるタイプじゃないから、そういう方がよかったのかも」
 それではまるで自分の芯がしっかりしていなくて苦労知らずで落ち着きがないと言われているようだとか、キャピルンという表現はどうなのかとかいうことよりも、青木の語る佐山に関してが一番秋口の気になった。
 どうも、自分の知っている佐山とは違う人間の話をされている気がする。
「あの、佐山って、開発課の佐山さんですよ?」
「ん? そうだよ」
「あの人が、しっかりしてる……?」
 小銭をばらまいて慌てたり、ミルクを冷ましながら飲んでいる姿なら、秋口にも容易に思い出せるのだが。
「正直もうちょっとで終わるって仕事、他人に譲るのは迷ったんだけどな。でも秋口が佐山と仕事して何かしら勉強できるなら、おまえのためになるだろうから、引き継いだんだよ。しっかりやれよ」
 疑問符ばかりを浮かべる秋口の内心に気づいたふうもなく、青木はその背中を叩くと、自分の席に戻っていってしまった。
(……なんっか、腹立つな)
 青木の言いようでは、まるで自分の方が佐山よりも格下だと言っているようだ。
(俺のどこが、あのチビに劣るって言うんだ)
 やっぱりすっきりしない。沙和子が佐山の名を出した時からずっと、秋口の中にはもやもやした苛立ちが宿って消えようとはしなかった。
(いっそ泣かせてやったら、雛川さんも青木さんもあいつがそういいもんじゃないって納得するのか?)
 憮然とした手でペンを持ち直すと、秋口はいささか乱暴な調子で書類に文字を書きつけた。
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