こころなんてしりもしないで・第9話

 翌日になっても、佐山は秋口のことを無視し続けた。
 声をかければ応えるし、笑ってもくれるのに、それは確実に無視であり自分に対する否定だと、秋口にも伝わった。
 仕事に託けて会いに行っても、本当に仕事のことしか話してくれない。昼食を誘っても、夕食を誘っても、休憩所に誘っても、穏やかに断られる。仕方なく声をひそめて開発課の佐山のデスク近くで話そうとすれば、仕事中だからと申し訳なさそうに退室を促される。
 電話もメールも相変わらず繋がらないし、秋口はとうとう本当にどうしたらいいのかわからなくなってしまった。
「――で、俺に仲裁を頼むのか」
 三日間佐山に無視続けられて、四日目に秋口は御幸に泣きついた。
 就業時間中、急に廊下の隅へ呼び出されて『佐山と自分が話をできるように取り持って欲しい』と頼まれた御幸はすっかり呆れ顔で、その反応を予測していても秋口は居たたまれない気分になる。
「他に思いつかないんです、御幸さんの言うことなら、佐山さんも聞いてくれるかもしれないし……」
 誰が見てもすっかり消耗している秋口を眺め、御幸がおかしそうに笑いを零した。
「佐山は、ああ見えて頑固だからなあ」
 すっかり楽しんでいる風情だ。
「こうって決めたらてこでも動かないから、俺が何言ったって、本人が納得しない限り無駄だと思うぞ」
「だから、そこを説得してもらって」
「俺がその労力を割く理由がどこにあるのか、まずおまえが俺を説得できないとな」
 大体、と御幸が言を継ぐ。
「何かするっていうなら、そんなことよりおまえに傷つけられた佐山を慰める方を選ぶに決まってるだろ」
 秋口が反駁できないほどの正論だ。
「それに、おまえが佐山を傷つけたことを謝ったとして、同じことを繰り返さないなんて信頼が俺には一切ないわけだから。そもそもこういう問題を他力本願で解決しようなんて人間に、まともな謝罪とか償い自体ができるとも思わないし」
 ひどい言われようだが、やはり秋口には反論の余地がない。
「そんなに話を聞いてもらいたいんなら、佐山を呼び出してふたりきりで話すなんて悠長なこと言わずに、人前で土下座なり泣き喚くなりすればあいつは聞いてくれるだろ。――秋口にそれができるとも思えないけど」
 そう、その通りだ。結局のところ、佐山の仕事場や社内で強引に相手を呼び止めることができないのは、愁嘆場を演じているところを他人に見られることが許せない自分のプライドのせいだろう。
 それがわかって、秋口はますます落ち込んだ。
「言っておくけどな」
 黙り込む秋口に、御幸が冷たい声音で言う。
「俺が大事なのは佐山であって、佐山とおまえの関係じゃない。だから口出ししないって言った。その違いはわかれよ、俺だって何でわざわざおまえみたいのがいいのかは理解できないんだ。お門違いな頼み事はするもんじゃないよ」
「……ひとつわからないんですけど」
 言うだけ言って去っていこうとする御幸に、秋口はやけくそ気味に訊ねた。
「そこまで俺がろくでもない相手だってわかっておきながら、どうして御幸さんは積極的に邪魔しなかったんですか。話聞いてるとやっぱり、御幸さんは特別佐山さんのことが好きだっていうふうにしか見えないし、おかしくありませんか」
 そこで御幸が、盛大な溜息をついた。やれやれ、と表現するのが一番ぴったりな仕種だった。
「重症だ、どうしてそれで上手くいかないのか理解できない」
「……? 何がです?」
「自分がそうだからって他人まで同じだと決めつけるなって話だよ」
「はあ……」
 御幸は最初に仲裁して欲しいと秋口が切りだした時よりも、遙かに呆れきった表情になっている。
「佐山のことを好きか嫌いかって言ったら、俺は愛してるけど」
 やっぱり、と秋口は顔を強張らせる。御幸がまじめな表情でそんな秋口を見遣った。
「でもそれは、自分の家族に対するものと同じようなものなんだ。俺にとって佐山は尊敬に値する人間で、ある意味憧れてるって言っていい。もしくはコンプレックスを持ってるって表現した方が正しいか。こんな言葉、本当は使いたくないんだけどな」
「憧れ……コンプレックス?」
 御幸こそが、周囲の人間に憧れられるほどの容姿を持ち、仕事の腕を持つ人間だから、秋口はその言葉がぴんとこなかった。
「おまえよりも長い間、ずいぶん深いところで佐山の存在が俺に関わってるってことだよ」
 突き放されるようにそう言われて、秋口は自分でも手出しできない部分に御幸と佐山の関係があることを悟って、またいいしれない焦燥感を抱く。どうしようもない嫉妬心だ。
 これ以上言うことはない、と言外に告げる態度で今度こそ踵を返した御幸の背に、秋口は苛立った声を叩きつけた。
「ますますおかしいですよ、じゃあどうして、そこまで大事な佐山さんに俺がちょっかいかけるのを、黙って見てられたのか」
 御幸がまた足を留め、秋口の方を振り返る。苛立ちと焦りを隠しきれない秋口のことをしばらく眺めてから口を開いた。
「もし自分の大事な家族が、ブサイクで頭の悪い犬を拾って来たとして――」
 自分を睨んでいる秋口に向けて、御幸は優しく慈愛に満ちた、貴公子然とした表情で微笑んで見せた。
「まさか『その犬はブサイクで頭が悪いから捨てて来なさい』なんて言えないだろう?」
「……」
「最終的に本人のあずかり知らぬところで保健所に連れて行くことはできるんだ。しばらくはそのバカ犬が言うことを聞くようになるのか黙って見守るよ」
 秋口が二の句を継ぐことができないうちに、今度こそ御幸は自分のオフィスに戻っていった。
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