きまずいふたり・第3話

 ふたり行きつけの定食屋、カウンタ席で並んで夕食をとった。珍しく佐山も御幸も定時から大した時間が経たずに会社を出ることができた。
 契約がうまくいった、という御幸を、ビールと、佐山はウーロン茶で乾杯して労う。頼んだ料理が来るまで、来て箸をつけてからも、お互いの仕事の話や近況をとりとめもなく話した。佐山が御幸とこの店に来て、ゆっくり話をするのも、ひさびさのことだった。
「沙和子とも、食事くらいまたって約束してるんだけど。なかなかタイミングが……って言うか、その気にならなくて、何となくもやもやするんだよな」
 そして話は結局、昼休みの続きに向かってしまう。この一ヵ月ほど、ひとり悶々と考え続けていたことが、思いのほか佐山のストレスになっていたらしい。こんな話を御幸に聞かせるのは申し訳ない気がしたが、御幸は嫌な顔ひとつせず佐山の話に耳を傾けてくれた。
「沙和子と俺が一緒にいるのを秋口が気に喰わないからって、つきあいを絶つ必要はないと思うんだ。もちろん御幸とも。沙和子とは、昔特別なつきあいだったけど、今は俺にそういう気はないわけだし……俺が好きなのは、別の人だし」
 考え続けていたことを実際口にする佐山の言葉は、溜息混じりのものになった。
「だからここって俺の方から気を遣うとこでもないんじゃないかと思いつつ、でも秋口が気にしてるのはわかるしって堂々巡りで、それにしたって秋口の方が俺をどう思ってるかをちゃんと俺言わない限りは、俺が考えるだけ無駄なのかもしれないってことも考えるし」
「秋口的には、ま、自分が優位に立ちたいってことなのかもしれないな。あいつのプライドが高いのは誰が見ても明らかだろ。自分からお願いするのは自尊心が許せない、佐山の方が自分のことを好きなんだから、佐山が気を遣うのが当然だってさ」
 実際、そのようなことを秋口に言われた覚えがあるので、佐山は御幸の推論に頷くしかない。
「足許見られてるのかもな、っていうのは何となく……で、秋口にとって自分がどういう形にしろ、特別なんだろうなっていうのも何となくわかるんだ。でも……っていうかだからこそ、なんにも言わないし、自分が嫌だからって俺にやめさせようとすることを、自分はしてる向こうに、失望する」
 最後の方は、御幸に聞かせるというより、独り言に近くなった。
「自分の全部投げ打って、相手の他は何もいらないって縋れば秋口は満足するんだろうと思う。でもそういうのは好きじゃない、好きじゃないって言うか……」
 言い淀んだ佐山の言葉を引き継ぐように、御幸が訊ねる。
「怖い?」
 佐山は頷いた。
「暴力みたいなもんだと思うんだ、まあ実際殴ったのは俺だけど」
 その時のことを思い出したのか、御幸が吹き出した。
「感情にものを言わせて相手を縛りつけるようなやり方、覚えちゃいけないんだよ。それがどんどんエスカレートしていくのを、俺はずっと見てきたし」
「……」
「そういう恋愛もあるのかもしれないけど、いい大人がやることじゃない。人間、ふたりだけで生きてきけるわけは絶対にないんだから」
 佐山は大きく息を吐き出した。
「秋口には、俺が自分のそばにいることじゃなくて、自分が俺のそばにいることを選んで欲しいと思ってるんだ。そうしたら、俺も同じこと素直に望めるし……って思うのは、贅沢だろうし、ただ意地張ってるだけなのかもしれないけど」
「いいや、ごく当然の望みだね」
 御幸が即座に断言したので、佐山は少し笑ってしまった。
「好きな人間のために自分を変えるなんて、馬鹿げてると俺は思う。ちょっとの生活習慣とか、考え方とか、影響されて自然と変わっていったり、我慢のできる範囲で相手に合わせることは必要だとしてもさ」
「……うん」
「俺は佐山贔屓だから見方はおまえに偏るけどさ。嫌なこととか、怖くて辛いことは、無理してやることも――思い出すこともないだろ」
 ビールの入ったグラスを片手に、御幸は頬杖をついて隣の佐山を見遣った。
「まあ、話し合いの余地がありそうなら、その辺のことあいつにも話してみたらどうだ? たぶんおまえ、まだそういう話、してないだろ」
「必要あるかなあ」
 つられて頬杖をつきつつ、佐山は店の天井を見上げた。
「聞いて楽しいことじゃないだろ。重いし、滅入らせるだけな気がする」
「……うーん……」
 考え込むように、目を閉じた御幸がきつく眉間に皺を寄せた。
「御幸に話すのも、沙和子に話すのも勇気がいったよ。おまえの時はなりゆきみたいなところがあったし、沙和子の時は俺は結婚のこと考えてたから、そうすると沙和子にも関わってくるし、隠す方がフェアじゃないって思ったから話したけど」
「ああ……要するに、秋口のことを信頼できる状態じゃ、まだ全然ないってわけだな。当然か」
「信頼かあ、信頼……」
 その言葉は、佐山にとって何だか途方もないもののように思えた。
「……信用がないのは、お互い様ってことか……」
 うんざりする気分で佐山が呟いた時、そのポケットで携帯電話のベルが鳴った。直通メールが届いた報せだ。
「あ、縞さんだ」
 携帯電話の液晶画面には、先日登録したばかりの『縞亮人』の名前。
「縞って、例のライター?」
「そう、今都内に出てるから、よかったらまた食事でもって。今隣の駅みたいだ」
 画面から、佐山は御幸の方へ視線を移した。
「混じっても平気か?」
「俺は別に構わないけど……」
「聞いてみる」
 佐山が連れが一緒だが構わないかと返信すると、すぐに佐山とその連れの人さえよければ、とまた返信が来る。佐山がさらに店の場所をメールしてからそう時間が経たず、縞が店内に姿を見せた。
「縞さん、こっち」
 入口から中を見渡す縞に、佐山は手を挙げて合図を送った。縞がすぐそれに気づき、人なつっこい笑顔になって近づいてくる。
「こんばんは佐山さん、この間ぶり。――すみません、図々しくお邪魔しちゃって」
 前半は佐山に向けて、後半は御幸に向けて、縞が挨拶する。
「はじめまして、縞って言います。佐山さんとはたまたま奇縁っていうか、ひょんなことから知り合って」
「あ、その辺は説明しました、な、御幸」
 縞から友人に視線を移した佐山は、相手が軽く目を瞠っていることに気づいて首を傾げた。
「御幸?」
「あ……ああ、はじめまして、佐山と同じ会社の、御幸と言います」
「ミユキさん? かわいい名前ですね」
 ちょうど空いていた佐山の隣のカウンタ席に腰を下ろしながら、縞が笑って言う。
 御幸も、佐山を挟んで縞を見返しながら、にっこりといつもながら貴公子然とした笑みを浮かべた。
「御幸が苗字で、名前は暢彦というんですよ」
「いい名前ですね」
「ありがとうございます」
 カウンタ越しに、店員が縞の分の水とつきだしを差し出した。
「俺はこういう名前です」
 縞が、名刺を取り出して御幸に手渡す。どうも、と頷いて、御幸も半ば習慣のような仕種で自分の名刺を縞に渡した。
「ああなるほど、こういう字ね。で、佐山さんとは部署が違うんだ」
 呟きながら、縞が何か首を傾げている。
「うーん、やっぱり、この社名に覚えがあるような……」
「縞さん、もう食事すまされましたか? まだだったら、ここの料理も結構いけますよ」
 言いながら佐山が品書きを差し出すと、縞がにこにこしながらそれを受け取った。
「あ、ちょうど腹減ってたんですよね。どこか適当に店入ろうと思ったんだけど、ひとりじゃ味気ないしと思ったら佐山さんのこと思い出して、急に会いたくなって」
 縞の台詞に、佐山は笑い声をたてる。
「それは、光栄だなあ。ああこの煮物とか、おすすめです」
「じゃそれと、じゃこ飯でもいこうかな。ええと、あとはどれがおすすめ?」
 佐山の方へメニューと一緒に身を寄せて、縞が訊ねてくる。佐山もメニューを覗き込みながら、鶏の唐揚げや、笊豆腐などを指さしていった。
「この辺かな」
「ふんふん」
「――近い」
 小さく低い呟きが聞こえて、佐山は怪訝に顔を上げた。声は御幸の方から聞こえた。
「御幸、何か言ったか?」
 佐山に、御幸はいつもの穏やかな笑顔で首を振って見せた。
「いや、別に。ああ、縞さん、飲まれるんでしたらここの生搾りのサワーがおすすめですよ」
「そしたらその辺頼んでみよう、すみません!」
 近くを通りがかった店員を捉まえ、縞がてきぱきと注文をすませている。
 次々飲み物と食事がやってきて、三人でそれぞれ自分の皿をつまみながら、当たり障りなくお互いの話をした。
「へえ、じゃあ、佐山さんと御幸さんは入社以来の親友ってことか」
「いろいろ世話かけてます、俺は全然営業向きじゃなかったから、かなり御幸に助けてもらって」
 料理は美味いし、縞との会話は楽しいしで、佐山は普段よりも饒舌になる。それよりさらに縞がよくしゃべったが。
「俺なんて、会社自体向いてないから、そもそも就職したことすらありませんよ。朝起きて電車に乗るってのがまず不可能です、陽に当たりすぎると溶けちゃいますから」
「まるで吸血鬼ですね」
「あ、いいな吸血鬼。美女の生き血を啜りながら永遠の命を生きるなんて、ロマンだなあ」
 笑いながら、縞がさりげない仕種で佐山の片手を取る。
「佐山さんも、どうですか、一緒に永久の命と快楽を」
「あ、すみませんお茶いただけますか? 佐山、おまえも飲むだろ、それとももう少し冷たいもの飲むか」
 縞の反対隣から御幸が無造作に品書きを放ってきて、佐山は慌てて両手でそれを受け取った。
「俺もお茶でいいや。縞さんはどうしますか?」
「俺も同じで」
「すみません、お茶あともうふたつ」
 店員に頼んでから、御幸がカウンタに両手で頬杖をつきつつ、愛想よく縞の方を見遣った。
「お噂どおり、縞さんは本当にお話上手ですね」
「口から先に生まれたと言われています」
「違いない。さすが、ライターなんてご職業に就かれるだけあるってことですか」
「天職だといいんですけどね」
 和やかに話すふたりを眺めつつ、佐山はカウンタに置かれたそば茶を啜った。ふたりとも優しいいい声をしていて、淀みなく話す言葉を聞いているのは気持ちがよかった。
「いつからそういうお仕事をなさってるんですか」
「大学生の頃からだから、もう七、八年かな。――あ、佐山さん、唐揚げ食べません? 冷めてきたけどまだ美味しいですよ」
 御幸に答えつつ箸で唐揚げを摘んだ縞が、それを佐山の方に向ける。急に自分の方に言葉を向けられて、佐山は反射的に促されるまま口を開けてしまった。
「はい、あーん」
「んん?」
「美味しいですか?」
 もともと佐山のおすすめだ。唐揚げを咀嚼しながら頷くと、縞はずいぶん嬉しそうな笑顔になって佐山の顔をみつめた。
「かぁわいいなあ、佐山さん」
 照れも恥じらいもなく言う縞に、佐山は思わず吹き出した。
「また、そういうことを言う」
「今、ひな鳥みたいですごく可愛かったですよ。ねえ、御幸さん」
 皿を全部空にして、煙草を吸い始めていた御幸が、煙を吐き出してから苦笑した。
「いい大人の男に向かって、可愛いもないでしょうけど」
「年は関係ないですよ、いくつになっても可愛いものは可愛い」
 笑ったまま、縞が御幸を見返す。
「御幸さんはどっちかっていうと、美人さんってタイプだけど」
「それはどうも」
 御幸は適当に肩を竦めて、まだ長い煙草を灰皿で揉み消した。
「それじゃあ、食事も終わったし、俺たちはそろそろ失礼しようか、佐山」
「え、もう?」
 縞が少し不満そうに唇を尖らせる。佐山が腕時計で時間を確認すると、もう十時近くになっていた。
「まだ全然宵の口じゃないですか」
「俺たちは、明日も会社ですから」
「でもどうせ、フレックスだし」
 せっかく楽しい時間だし、もう少し縞と話していたい気がしてそう言いかけた佐山の腕を、立ち上がりながら御幸が素早く引いて、耳許に唇を寄せた。
「おまえ、帰って鏡見てみろ。すっかり疲れた顔してるぞ」
「え……そうかな」
 佐山も椅子から立ち上がりつつ、片手で自分の頬に触れた。あまり肉のついていないやつれた顔は、今に始まったことじゃない。特にこの数ヵ月というもの。
「帰って風呂でも入ってさっさと寝ろよ、まだ今週終わったわけじゃないんだぞ」
「――わかった」
 あまり御幸に心配ばかりかけるのも申し訳ない。ふたりと話したことでだいぶ気持ちも明るくなったし、たしかにはしゃいでダウンしては週末まで辛くなるばかりだ。
「すみません、縞さん。また次の機会に」
 縞は隠さずがっかりした表情になって、彼こそが大人の男なのに『可愛い』んじゃないかと佐山はこっそり笑った。
「じゃあ今度は休みの前にゆっくり会いましょう、絶対ですよ」
「はい、ぜひ」
「また連絡します、あ、佐山さんの方からもメールでも電話でもくださいね。用事なんかなくてもいいから、ひとりが寂しい夜なんて特に」
 自分の携帯電話を掲げて見せた縞に、佐山も同じ仕種を笑って返した。
「それじゃ失礼します、佐山、行くぞ」
 御幸も縞に微笑んで挨拶して見せてからレジに向かい、佐山もその後についてから、名残惜しくて何となく後ろを振り返った。
 縞も佐山の方を見ていて、軽く手を挙げている。佐山もまた同じ仕種を返してから、レジで会計をすませる御幸の隣に歩んだ。
「本当に奢りでいいのか、ここ」
「そうするって言っただろ。今度何かあったら佐山が奢れよ」
「サンキュ、ごちそうさま」
 会計を終えて店を出ながら、佐山の隣で御幸がひとり小さく首を横に振っていた。
「まったく口から先にってのが言い得て妙な……」
「ああ、縞さん、楽しい人だろ」
 その呟きを聞き止めて佐山が言うと、駅に向かう道の半ばで御幸が急に足を止めた。つられて立ち止まる佐山を見下ろしてから口を開き、だが何も言わずにそのままの格好で動きを止めた後、溜息をつく。
「――やめた。まあ、いいや」
 ひとりで呟いてひとりで納得し、御幸が再び歩き出す。佐山もまたその隣を進み出した。
「佐山も別に、道理のわからない子供ってわけでもないんだしな」
 聞こえた御幸の呟きはまたひとりごとのように聞こえたので、佐山は特にその意味は問い返さずにおいた。
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きまずいふたり

Posted by eleki