「あれ、マルイ、でかくなったな」
足許を擦り抜けようとした三毛猫を、ひょいと抱き上げて尾崎が言った。
猫は心の底から嫌そうに鳴き声を上げ、その手から逃れようと手足を動かしている。
「そりゃ三年も会ってなけりゃ、でかくもなるだろうよ」
上等なスーツに毛がつくのもお構いなし、猫を両手で抱き締めて顔を寄せる尾崎を、淡野も猫と同じような顔で見遣る。
「三年前だってもう大人猫だったろ。甘やかしすぎなんじゃないのか、淡野家」
「おまえにだけは言われたくねえ」
言い捨てると、淡野は階段を昇った。猫を抱えたまま、尾崎もその下を後からついてくる。
金曜日の夕方、珍しく明日は朝から晩まで会社が休みだという淡野の家に、尾崎が泊まりに来た。ひさびさにマルイに会いたい、という主張を淡野は受け入れた。前回尾崎が淡野の家を訪れたのは、いつものメンバーが鍋をするために集まった時。それが三年前で、久しぶりに姿を見せた男前で優しい兄の友人に、淡野の妹も弟も喜び、仕事の出張で家を空けている母親は話を聞いて残念がり、嫌がっているのは猫のマルイだけだった。
尾崎が来ると聞いて、妹の清以が俄然はりきって作った夕食を四人で囲み、尾崎がお土産に買ってきたケーキと淡野が淹れたコーヒーを飲んで、結局日付が変わる頃まで尾崎は淡野家の居間にいた。
可愛い妹と弟たちが、尾崎君尾崎君とその無駄な男前にまとわりついている様子が、淡野には不思議だった。もともと人なつっこく、しかも女の子である妹はともかく、最近兄に対して反抗的な中学生の弟までが懐いているのは、おもしろくない。
だから今、尾崎の腕の中で猫が暴れているのは、正直ざまあみろだ。
「痛てっ!」
一階の居間から、淡野の私室がある二階に辿り着くまでの間に、マルイはべたべた触ってくる尾崎の手の甲を引っ掻いて、とうとう逃げ出した。そのままあっという間に階段を降り、姿を消してしまう。
「あーあ……一緒に寝ようと思ったのに……」
「やめてやれ、拷問だろう」
すがすがしい気分になって、淡野は自室のドアを開けた。八畳の洋間。物が多くて雑然としているが、汚れているというほどでもない。日頃忙しい仕事に就いていて、家に帰る時は食事と風呂と睡眠しかすることがないので、汚れようがなかった。服は脱ぎ捨てておいても母親と妹が勝手に洗濯してくれるし、気づけば床に掃除機がかかっていたり、ベッドのシーツが取り替えられていたりする。
きっとひとり暮らしなんて始めたら、あっという間に腐海の森が生まれるだろうということを予測しながら、淡野は実家住まいのありがたみをしみじみ思う。
「カズイの部屋も、ひさびさだなあ」
奇妙に感慨深そうな響きで呟きながら、尾崎が淡野に続いてその部屋へと足を踏み入れた。尾崎が淡野の家に前回遊びに来たのは、まだ大学生だった三年前だが、部屋に入ったのはたしかお互い高校生だった時が最後だ。
「そういや昔は来たがったのに、高校卒業した後は来なくなったよな」
何となく言った淡野に、尾崎が苦笑を浮かべている。
さすがにその理由を聞くほど、淡野も無神経にはなれなかった。代わりに別のことを訊ねる。
「風呂先入るか」
「そうだな、今日も外回りだったし、シャワーだけ貸してもらえると」
尾崎が泊まりに来ることが決まったのは、お互いの仕事が終わる直前だった。淡野は抱えていた急ぎの仕事がクライアントの方の問題でペンディングになり、突如として定時に帰れることが決まった時に、尾崎から『今日は来るのか?』とメールが届いたので、『母親が出張だからまっすぐ家に帰る』と書いたついでに『尾崎も来れば』と何となく書き足して返信してしまった。
着替えを持って部屋を出ていった尾崎は、あっという間にシャワーを浴びて帰ってきた。
「早ェな」
「キヨイちゃんたちもう寝てるだろ、あんまりうるさくしたら悪いと思って」
弟妹たちは、十二時を過ぎた頃に早く寝ろと淡野がそれぞれの自室に追い払った。まだ尾崎と話したがっているふたりは不満そうだったが、父親が事故で他界した六年前から兄妹間で淡野の言葉は絶対だ。
「じゃあ俺も風呂行ってくる、適当にしてろ」
尾崎に言い置いて、淡野もシャワーを浴びに部屋を出た。
風呂好きなので、いつもなら自宅で入浴する際はゆっくり湯船に浸かるのが楽しみだったが、今日は尾崎といえども一応客が来ているのだからと、淡野も簡単にシャワーを浴びるだけですませた。
濡れ髪をタオルで拭きながら部屋に戻ると、尾崎が勝手に本棚から高校の卒業アルバムを取り出して眺めている。
「お帰り」
床にアルバムを置いてそれを見ていた尾崎が、それから視線を上げないまま淡野に声をかけた。淡野は手にしていた缶ビールを持って、尾崎の向かいに腰を下ろす。
「また懐かしいもん見てるな」
淡野の手渡してきたビールを、尾崎が受け取る。尾崎が見ているのは、淡野、それにいつもつるんでいる数人のメンバーが在籍していたクラスの顔写真ページだった。
「カズイ、本当に、この頃は天使のように可愛かったなあ……」
開けたばかりのビールをわざわざ口に入れてから、思い切り尾崎の顔に吐き出してやろうかと思ったが、卒業アルバムまで汚れてしまうので淡野は辛うじて我慢した。
「高校生の頃とあんまり変わってないと思ってたけど、こうしてみると、結構成長してるよな」
淡野の嫌そうな顔になどまったく気づかず――あるいは気づいているのに頓着せず、尾崎は淡野の写真を眺めてはしみじみとそんなことを言っている。
「二十五って、高校生から見たらもうオッサンみたいなもんだろ。いつまでも十代みたいなツラでいられるかよ」
「いや、それでもカズイはまだ制服とかいけると思うけどな。今度――」
「着ない」
尾崎が台詞を言い終える前に、淡野はきっぱりとした口調でそう断言する。
「絶対着ない、死んでも着ない」
「まだ何も言ってないだろ」
「言うつもりだっただろ。俺は高校の時の制服も体操着も水着も着ない。上履きだって履かないからな」
「うーん」
残念そうな顔をする尾崎を殴ってやりたいのもどうにか我慢して、淡野は手にしたビールを呷った。
淡野が尾崎とめでたく友人間公認で相思相愛になってからひと月、ひとり暮らしの尾崎の家でふたりきりになり、恋人らしくそれなりな夜を過ごしたこともすでに数回、そのたび尾崎が起きたまま口から漏らす寝言に、淡野は頭を痛めていた。
曰く『長年の夢』だそうで、尾崎はやたら淡野に高校時代の服やアイテムを装着させることに固執している。
「だいたい着ろったって、俺のは来年うちの学校入るっていう知以にやる約束してんだって言ってんだろ」
「もともとカズイが着てたもんなんだから、今さらもう一回くらいおまえが着たって、トモイに悪いってことにはならないだろ?」
「……ただ着るだけならともかくな」
ぐっと、淡野はまたビールを飲み込む。
「どうしても着て欲しいなら着てやってもいい、ただし着るだけだぞ」
「……えー」
不満そうな尾崎のことを、淡野は思いきり睨みつけてやる。
「それ以上の何かよけいなことをするつもりなら絶対着ない」
「よけいなことをしないのに着せるわけがないだろう」
「何で偉そうなんだよ馬鹿が」
大きく溜息をついて、淡野はビール缶を持っていない方の手で自分の頭を押さえた。
「もうやだ、こんなアホみたいな会話毎回毎回」
「ごめんごめん。どうしても諦めがつかなくて」
嘆く淡野の腕を尾崎が掴んで、痛む頭を押さえている手を外させる。いい加減諦めろ馬鹿、という思いを込めて睨んだ淡野の視界に、尾崎の顔が近づいて来た。
淡野はギリギリまで相手の顔を睨みつけてから、その唇が自分の唇に触れた頃やっと目を閉じた。
尾崎の唇は、数秒淡野に触れただけで割合すぐ離れた。淡野が目を開けると、ごく間近で尾崎もそれを見返していたが、目が合った一瞬後にはフッと変に照れたよう表情で目を逸らされた。
その一連の仕種が妙に淡野の胸をぎゅっとさせて、ビール缶を床に置くと、今度は自分から尾崎の方へと唇を近づけてしまう。目を閉じて、軽く開いた唇で尾崎の唇を啄む。
尾崎もすぐに唇の間から覗かせた舌でその動きに応え、間もなくお互いずいぶん深くて熱心なキスに夢中になった。
尾崎の手が腰にかかったところで、だが淡野はその指を掴んで止める。
「今日はしないぞ」
「え、何で?」
すでに淡野を押し倒そうとする動きに突入していた尾崎が、不思議そうに問い返した。
「清以たちがいるんだぞ、何でもクソもあるか」
「もう寝てるだろ?」
「起きたらどうする」
「起きないようにしたらいいんじゃないか?」
「起きないようにって……」
呟いている途中で、淡野は急に自分の体が浮き上がったことにぎょっとした。
尾崎が淡野を抱え上げ、ベッドの上に乗せてしまったのだ。
「騒がなければいいってことだろ、カズイが大きい声出さなければ無問題」
「ざっけんな」
自分の上にのしかかり、再び唇を落としてこようとする尾崎の頭を、淡野はすんでのところで手で押し遣った。
「そんなの――」
「まあカズイはすごく感じやすくて、すぐ反応するから、難しいだろうけど」
できるわけがない、と言うよりも先に、尾崎がまじめな顔でそんなことを言うので、淡野は猛烈に腹が立つ。
「おまえがねちねちねちねち触るからだろうが」
「そりゃおまえを気持ちよくしたいんだ、あたりまえだよ」
言いながら、尾崎の手がもう淡野の寝間着越しに、下肢の間をやんわりと撫でている。
それだけでかすかに腰が震える、たしかに感じやすいらしい自分の体を淡野は呪った。
――シャワーを浴びている時から、どうせこうなるであろうことは予測していたというのもあるとはいえ。
「……電気は消せ、せめて」
何かの拍子に妹か弟にドアを開けられたら、言い訳が立たない。淡野が言うと、尾崎が残念そうにしながらもベッドから一度降り、壁のスイッチで部屋の灯りを消した。
尾崎は基本的に電気を消さずに淡野にあれこれしたいらしく、尾崎の家でこういうことに及ぶ場合、淡野がどれだけ罵倒しても、殴りつけても、明るいところでその体をすみずみまで眺めるのを絶対やめない。
「ったく、何でこんな変質者を相手にしないといけないんだ……」
「俺の話?」
ぶつぶつ呟く淡野に、ベッドへ戻ってきた尾崎が再びのしかかりながら訊ねる。
暗くなった部屋の中で、淡野はまた尾崎を睨んだ。
「他に誰がいるってんだよ」
「……言っておくけどな、俺だって、おまえ以外にはこんなんじゃないんだぞ?」
「知らねえよ。知らねえ上に威張るところでもねえよ」
罵倒されて不満げな表情が、淡野に近づいてきて再び唇を塞いでくる。淡野はとりあえずその変な性癖を持つ相手の背に両手を回した。
「……ん……」
尾崎の指先が、Tシャツ越しに胸の辺りを擦って、淡野はつい喉を鳴らす。刺激で簡単に尖った胸の突起をみつけて、尾崎の指が、執拗にそこばかりを触ってくる。
口の中を濡れた舌で掻き回され、胸を弄られて、淡野はそれだけでもう息が苦しくなってきた。尾崎の指も舌も、とにかくねちっこい。どうやったらこんないやらしい動きを作れるのだ、と呆れるほどねちっこい。AVにでも出演したら、その動き見たさに固定客がつくんじゃないかと思ったが、尾崎が自分以外の相手とあれこれすることを考えたらムカついたので、淡野はその想像をやめた。
尾崎は一度指の動きを止め、淡野がほっと息を吐くのも束の間、今度はシャツをたくし上げて舌で乳首に触れてくる。硬くなったその形をたしかめるように舌で嬲られて、淡野はむずがゆいような、肌がぞくぞくと粟立つような、強くはないがやり過ごすことのできない感覚に吐息を乱した。
「だから、そこばっかりするな、っての……」
囁くような声で、淡野は相手を罵った。
尾崎は淡野のそこを弄るのが好きで、こういう場面ではかならず触る。しつこいくらいに指で摘んだり捏ねたり、吸ったり舐めたりしてくる。
そのしつこさにもいい加減嫌になるが、それ以上に淡野をうんざり気分にさせるのは、尾崎に触られて、女でもないのにしっかり反応してしまう自分自身の体に対してだった。
尾崎は淡野を無視して、きつくその乳首を吸い上げた。淡野が咄嗟に髪を掴んで、引きはがそうとするが、やめる気配もない。
「……ぅ……」
もう一度、何か言おうとして淡野はその声を呻きに変えた。尾崎の片手が下着の中に入り込み、少し熱を持ちかけている淡野のペニスに触れている。
諦めて、淡野はぐったり目を閉じた。弟妹のいる自宅の自室で、というシチュエイションはろくでもないが、部屋の作りがしっかりしているおかげで物音が外に漏れる心配はそうそうないし、寝つきのいい弟妹たちは一度ベッドに入ったら朝まで起きない。要するに自分が過剰な反応をせず、さっさと済ませてしまえば問題がないのだ――と淡野は自分に言い聞かせるが、しかしどうも落ち着かない気分になるのは仕方なかった。
「……っ……、……」
乳首をきつく吸い上げられながら、片手で軽くペニスを扱かれるだけで、淡野はつい声を上げそうになった。男として人並み程度に性欲はあると思っていたし、女を相手にする時はそこそこ熱心にそこそこ気持ちよくなっていはいたけれど、こうして一方的に尾崎に触れられて簡単に乱れてしまうという事実が、毎度自分で信じがたい。セックスはするもであってされるものではなかった。自分だけ喘がされるのが腹立たしくて、尾崎を襲ってやろうとしたこともあるが、気づけばいつもやっぱり一方的なやり方で体中を撫で回される羽目になっていた。
なぜそんなにもスムーズにこっちをいいように扱うことができるのか、と少し前に怒りながら聞いたら、「キャリアが違う」と答えられた。何のキャリアだ、おまえは俺の他に女だけじゃなく男を相手にしたことがあるのか、とさらに怒りながら訊ねると、尾崎が真顔で「シミュレーションのキャリアだ」と答えたので、淡野は聞かなけりゃよかったと心底後悔した。
好き勝手する尾崎を結局許してしまうのは、向こうがこっちのことをどうしようもなく好きらしいということが、嫌というほど淡野には理解できてしまうからだった。
しょうがねえなあ、という気分で、毎回したいようにさせてしまう。今も。
「んっ……」
尾崎の指先に、ぐっときつく鈴口を擦られて、淡野は大きく声の漏れそうになった口を咄嗟に両手で押さえた。気づけばすでに下着ごとジャージのズボンを下ろされて、昂ぶった性器は剥き出しにされ、尾崎の掌の中でくちゃくちゃと濡れた音を立てられている。弄られた先端からは、少しずつ先走りが零れだしていた。
尾崎がやっと胸から唇を離し、必死に声を堪える淡野のことを見下ろしてくる。淡野はそれを思い切り睨みつけた。
「カズイ、すごいやらしいな……綺麗だ」
思わずぶん殴ってやろうかと思ったが、尾崎がわざと言っているのはわかっているので、淡野はようやくのところで我慢する。
「黙ってやれ!」
指の隙間から小声で罵倒すると、尾崎がおかしそうに笑いながら、少し強い動きでまた割れ目の辺りを指で擦る。びくびくと震える両脚を曲げて大きく開かされ、淡野は尾崎の前であられもない格好を取らされた。
今さら恥じらうもんでもないとは思うが、すっかり硬くなり上を向いたペニスを剥き出しに、それを熱心にみつめられればどうしても体中の血が昇るような感じがする。暗闇でも目が慣れて、淡野には尾崎の顔がそこそこよく見える。尾崎だって同じだろう。
「やっぱり、せめて携帯でいいから写真」
「ぶっ殺すからな」
うっとりと自分の半裸をみつめながら言った尾崎の台詞が終わらないうち、淡野は小声ながら強い語調でそれを遮った。馬鹿の寝言は聞いてられない。
嫌がるのがおもしろくて言っているのか、それとも本気なのか、淡野には尾崎の心中がいまいち読み切れない。半分くらいは本気なんじゃなかと思って怖ろしくなってくる。何が怖ろしいのかと言えば、尾崎が本気でそれを懇願してきたら、自分はしょうがねえなとぶつぶつ言いながらもそれを許してしまうんじゃないかと予測できるからだ。
「まあ、そのうちでいいんだけどさ」
尾崎は尾崎で、そういう淡野の気分を承知の上で、無茶を言っているふしがある。本気でそうしたいというより、嫌がる淡野とのやりとりで遊びたいから、思いつきを口にしては却下され、しぶしぶ引き下がるふりをするのだ。そういうことすら、おそらく『長年の夢』の中に含まれているのだと思えば、淡野は何だかまた頭が痛くなってくる。
「普通にやりゃあいいだろうが……」
淡野は溜息をついてから、尾崎の片腕を掴んで、自分の方へと体を引き寄せた。少し驚いたように目を見開く尾崎の表情が薄闇の中で見える。淡野はそのまま尾崎の首根っこを掴んで、唇を合わせた。すぐに口の中を舌で掻き回してやる。
言葉遊びをしている間は、尾崎は淡野の反応を見て楽しむために、しつこくあちこちを触るだけでなかなか達かせてくれない。
実に最悪なことだと自覚はあるが、淡野は自分の部屋で尾崎とこんなことをしているという状況に、遺憾ながら少々気を昂ぶらせてしまっていた。我を忘れて声を上げてしまうような醜態をさらす前に、さっさとすませてしまいたい。何時間も、弟妹たちが起きてきやしないかとびくびくしながら続けるのは御免だった。
そう思って、尾崎を見習い淫蕩な仕種で舌を使っていると、尾崎の方もそれに応えるべくいやらしい動きで舌を絡め、吸い上げてくる。
「……ふ……」
昂ぶった淡野のものを扱き上げる動きも、次第に熱が籠もってくる。痛いほど張り詰めたその部分が解放を望んで震えるが、尾崎はそれを察すると手の動きを弱め、淡野を焦れた気分にする。射精の欲求を止められず、つい尾崎の手に自分から擦りつけるような動きを淡野は取ってしまう。
「尾……崎……」
達かせろと、間近な尾崎の顔を睨んでやったつもりだが、強い快楽のせいで滲み出てきた涙のせいでそれがうまくいったかは淡野自身にはわからない。尾崎がどんな顔をして自分を見ているかも、すぐにまた深いキスを続けて目を閉じてしまったからわからない。
ずきずきと脈打つように張り詰めた性器に、冷たい液体の感触がして、淡野は体を強張らせた。とろみのあるローションが、次には尾崎の指と共に、体の中へと入り込む。
「っ……」
自分の家でもないのに、いつの間にローションなんて用意していたのか、その周到さに呆れつつも、淡野は尾崎の長い指が自分の中へ入ってくる感じに震えた。
胸を弄られる以上に信じられないのが、そんな場所を指で掻き回されて、熱っぽい吐息を漏らしてしまう自分の反応だ。そうしたいとはちっとも思わないのに、淡野はきつく目を閉じ、短く浅くなってしまう呼吸のために薄い胸板を上下させた。
「ん……んん……」
堪えようとしても、漏れてしまう声を堪えきれない。増やされた数本の指に中を擦られて、淡野はやたらに足を動かした。気持ちいいのか悪いのか、痛いのかそうでないかも判別つかなくなっている。ただ触れられた場所がやたら熱い。熱くてどうにかしてしまいそうだった。
「ぁ……あっ!」
びくっと、浅い場所を強く指で擦られて淡野は全身を強張らせる。まずいと思うのにやっぱり声が殺せない。
「……あ、あ……ん……、……く……っ」
焦れたような声が漏れる自分の口を、淡野は尾崎のキスから逃れて、また掌で塞いだ。尾崎は片手で淡野のペニスの根元をきつく締め上げ、片手の指で肉襞の中を滅茶苦茶に掻き回している。手加減のない、少し荒っぽいくらいの動きだった。
達きたいのに、尾崎の手にせき止められて叶わない。淡野は焦れったさに腹を立て、瞑った目の眦に涙を滲ませながら首を横に振った。自分ではどうにもできない。尾崎にどうにかして欲しい。片手で相手の腕を力一杯握ると、中を穿つ尾崎の動きがようやく止まった。指を抜き出され、淡野の体がまた震える。
待つまでもなく、熱を持ってじんじんする窄まりに、今度は指よりも熱くて太いものが宛がわれた。
「……っ……あ――」
それがあまり遠慮のない動きで中に侵入してきて、淡野はまた声を上げそうになった。掌で口を塞ぐ代わりに、きつく歯を噛み締めて、服を脱ぎもしていない尾崎の背中へと両手を回す。淡野の中に潜り込んできた尾崎のペニスは、触れてもいなかったはずなのに、ずいぶん硬く張り詰めていた。それで狭い場所を押し開かれるのは辛く、淡野は遠慮ない力で尾崎の背中を、抱き締めるというよりは締めつけた。
尾崎は淡野に引き寄せられ、体に凭れかかるようにして、そのまま動かない。
焦らすにしても動かなすぎだと、淡野は少し不審になった。存在感の激しすぎる尾崎の熱を体の中に感じながら、そっと、その背に回していた腕の力を弱める。
「……尾崎……?」
自分の首筋に顔を伏せた尾崎の体も、小さく震えている気がして、淡野は少し驚いた。
「どうした?」
体か、それとも受け入れた部分かを締めつけすぎたかと、淡野は軽く狼狽しながら尾崎の顔を見ようと相手の肩を押す。
そして、自分を見下ろす尾崎の目が、かすかに潤んでいることに気づくと、さらに動揺してしまった。
「な……何だよ、どうしたんだよ」
泣いているのだ。その理由がサッパリわからずに、淡野はとにかくうろたえて、尾崎の顔に手を伸ばす。掌で頬に触れると、尾崎が泣き顔でもないのに、ぽとりと一粒涙を落とした。
「ずっと、好きだったんだ」
「……」
知ってるとか、いまさら何をとか、しつこいとか――いくらでも罵倒してやることはできたが、淡野はそんな気が起きず、代わりに尾崎の頭を抱えるように自分の方へと引き寄せる。
「あー……っ、っとに、しょうがねえなあおまえは……!」
呆れる気分と、気の毒な気分と、愛しい気分が、同じくらいの割合で淡野の全身を占める。
何でこいつはこんなに格好よくて女にモテてその上エリートなのに、こんなに馬鹿なんだろうと、力の限り殴りつけるか、優しく抱き締めてやるかのどっちかをしないと収まらない気分になってしまった。
そして結局どちらも選べず、力の限り抱き締めてやることを淡野は選ぶ。
ごめん、と小さな声が耳許で聞こえたのが駄目押しで、淡野は何だか自分も泣きたいような気分になりながら、尾崎の後ろ頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
「おまえがどんな馬鹿だって、俺はいなくならないし、ちゃんと好きだから、いいんだよ」
何が『いい』のか自分でも理解できなかったが、気づけばそう尾崎に繰り返している。
「いいから、ほら……動けって、おまえだって、キツイだろ」
淡野の中で、尾崎の中心は硬く、大きく膨らみきっている。淡野が唆すように耳許で囁くと、尾崎が鼻先を埋めていた淡野の首筋から頭を起こし、淡野がその表情を確認する前に、また唇を合わせてきた。
「ん……、……ん」
ぐっと、さらに深いところまで繋がろうとするかのように、尾崎が淡野の中に身を進めては少し引いて、また押し入れる動きを繰り返す。
淡野は強く尾崎の背を抱いたまま、中を擦られるたびに漏れる声を堪えるために息を詰めた。
奥を突かれると、いつもすぐ何も考えられなくなって、ぞくぞくと湧き上がってくる悪寒と快楽が入り交じったものに翻弄される。流されたくなくて尾崎を抱く腕に力を籠めると、中を穿つ動きがよけいに荒く、速くなって、淡野はさらに我を忘れてしまいそうになる。
「カズイ……カズイ」
あとはもう、執拗なキスの合間に聞こえる尾崎の声だけが淡野の頭を巡り、相手が体の奥深いところで精を吐き出し、自分も同時に絶頂を迎えるまで、ずっと尾崎の存在を全身で感じさせられ続けた。
◇◇◇
淡野が目を覚ました時、なぜか部屋の中に尾崎の姿がなかった。
「尾崎君なら、急用ができたとかって、ちょっと前に帰ったよ」
居間に降りると、妹が残念そうな様子で兄にそう伝えた。
「あーあ、今日は昼くらいまで時間あるっていうから、尾崎君とパワプロ対戦したかったのに」
ソファで膝を抱えて、弟も憮然と呟いている。
「ちょうどいいだろ、遊んでばっかいないで勉強しろ。受験生なんだから」
「……尾崎君は万以(カズイ)みたいにうるさくねーから、いいんだよなー」
聞こえよがしにブツブツ言って、弟が居間を出ていく。通りすがり様に淡野はその弟の頭を丸めた新聞で殴った。イーッ!と歯を剥き出しにする弟の幼さに、何だかほろりとする。
「――急用、ねえ」
それから淡野は丸めた新聞を開きつつ、先刻まで弟が座っていた場所へ腰を下ろした。若干慎重な動きになってしまうのを悟られないように、妹がキッチンで後ろを向いている隙を狙う。
「お兄ちゃん、また尾崎君と喧嘩したんじゃないよね?」
キッチンでコーヒーを淹れて持ってきてくれた妹が、心配そうに言うので、淡野は思わず眉を顰めた。
「してねえよ」
「ならいいけど……尾崎君、何だか元気ないみたいだったから、またお兄ちゃんが変なこと言ってないか気になって」
まったくこの家の人間は、自分を除く全員が無条件に尾崎の味方で、淡野には腑に落ちないし腹立たしい。
「悩みごとがあるんだよ。放っておきゃ元に戻るから心配すんな」
尾崎がそそくさと淡野家を辞した理由くらい、淡野にもわかる。
醜態を見せてしまったと、恥じ入っているのだ。
ゆうべ、尾崎は一度ではすまず、すぐに二度目のあれやこれに雪崩れ込んだ。淡野にはその途中からの記憶がない。頭が真っ白になるくらいずいぶんな思いをしたのか、気でも失ってしまったのか。
そして目が覚めた時には、体中綺麗に拭き清められ、下着も服も着せられ、きちんと整えられたベッドに寝かされていた。尾崎に貸していた着替えは床に几帳面に畳んであって、まあ要するに恥ずかしくて合わせる顔がないのだろうと、淡野にもすぐわかった。
アホか、と思う。淡野にとっては何もかも今さらだ。
「そっかあ、尾崎君でも、悩みとかあるんだ……」
清以は奇妙に感慨深そうな様子で呟いている。
「あんなに格好よくて、頭もよくて、何でもできるのに、でも悩んだりするんだね。ちょっと可愛いね」
「悩むポイントが変だけどな、あいつは」
初めてなわけでもないのに、自分と寝ていることに今さら突然感極まって、しかもことがすんだあとはそういう自分を恥ずかしがって逃げ出すなど、予想を超えた馬鹿だと思う。
通りすがりに膝に乗り上げて来た猫を適当にあやしつつ淡野が言うと、清以がくすくすと、なぜか小さく笑っている。
「何だよ」
「やっぱりお兄ちゃんと尾崎君、仲よしなんだよね。大人になってもずっとつき合えて、悩みを打ち明け合えるお友だちって羨ましい」
「……」
嬉しそうにしている妹に淡野は何も言えず、微妙な表情で半笑いになりながら、彼女の淹れてくれたコーヒーを受け取った。
尾崎のことを馬鹿だアホだと思いながらも、清以の言う『ちょっと可愛い』というのがわかってしまうのだから、自分も充分馬鹿でアホなのだろうと淡野は思う。
笑っていいのか、嘆いていいのか、いまいち自分でも判断のつきかねる、それでもまあそれほど悪くはない気分で、淡野はコーヒーを啜った。
◇◇◇
「で、何で尾崎がまだ来てないのかとか、俺たちは訊くべきなのか?」
夕方、そういえばいつもの連中といつものように飲み予定が入っていたことを思い出して、淡野はいつもの居酒屋へと足を運んだ。
待ち合わせの時間を十分過ぎても尾崎が現れないので、田野坂がおそるおそるといった態で淡野に問いかけてくる。
「放っときゃそのうち来るだろ」
こういう場合、何喰わぬ顔で早めに現れるわけでもなく、遅刻や欠席する連絡が入ることもないならば、尾崎は多少遅れてこの場に現れるのだろう――と淡野は簡単に予測を立てている。基本的に律儀で几帳面な性格の尾崎は、何の断りもなく人との待ち合わせに遅れるような真似をしない。
だからこそ田野坂や、山辺、それに栗林も、胡乱げな顔で淡野のことを見ているのだろうが。
「別にまた揉めてるとかってわけじゃねえっつの。だいたい何でデフォルトで俺のことを非難がましい目で見るんだ、おまえら」
尾崎を待つつもりもなく、頼んだ生ビールをどんどん口に運びながら、淡野は集まっているいつもの面子を代わる代わる睨みつけた。
「何で、って訊かれる方がびっくりだぞ、俺たちも」
パーティションで個室風に区切られたテーブル席、淡野の横に座っている山辺が真顔で言った。
「せっかく落ちつくところに落ち着いたんだ、もう頼むからそのまま落ち着いといてくれ。いい加減俺だって敦彦がぐるぐる無駄に悩んだり、無駄に落ち込むところを見るのは勘弁して欲しいんだ」
無駄に、という部分を、おそらく故意に力強く言った山辺の台詞に、田野坂と栗林がうんうんと頷いている。
「……っつーか」
言われっぱなしで引き下がれずに、淡野は反論を試みる。
「やっぱ俺ばっか責められんのが腑に落ちねえんだよな」
たしかに、自分と尾崎とのことでは周囲を振り回したし、迷惑もかけたので、奢らされることも叱られることも当分は仕方がないだろうとは思うが。
それにしたって、前々から思っていたが、こいつらの態度は一方的だと淡野は合点がいかない。清以や知以が尾崎に懐くのは、その本性を知らないせいだとまだ納得もできるのだが。
「山辺はまあ尾崎の幼馴染みだから多少のひいきは仕方ないとして、何で田野坂も、栗林まであいつの肩ばっか持つんだよ。そりゃ俺はたしかに誰から見ても無神経で尾崎に嫌な思いさせた悪者かもしれないけど、そもそもあいつが逃げたりしないで普通に俺に気持ち言ってりゃ、ああまでこじれることはなかったわけだろ?」
まじめに抗議した淡野に、首を振って見せたのは、その向かいに座る田野坂。
「あのな、だから、俺らはどっちの味方もしないって言ってんだって」
「でも明らかに尾崎側じゃねえかおまえら」
淡野を見返す田野坂の表情も、極めてまじめだった。
「カズイの認識は間違ってる」
「何が」
「俺たちは尾崎の肩を持ってるんじゃない。――尾崎のことを『諦めてる』んだ」
深く、重々しい声で、田野坂が言った。
「尾崎は手の施しようがない。だから諦めろ。おまえが折れろ。そう言い続けてたんだよ、俺たちは」
「そ……それが、尾崎の肩持って、あいつ甘やかしてるっていうんじゃねえのか……?」
田野坂の静かな迫力に気圧されつつ、淡野はそれでも反駁を試みる。
自分の悪かったところを淡野は潔く認めている。自分に非があると認め、かつ尾崎もやっぱり悪かったよなと、公平な目で見て判断している。
揉めたり行き違ったりする原因が双方にある場合に、どうして自分の方『だけ』が折れなくてはならない理由があるのか、どうしても腑に落ちない。
「いいや、違う」
「だから何が違うんだよ」
「その方がカズイのためでもあるからだ」
あくまで厳粛な雰囲気で言葉を重ねる田野坂に、山辺も深く頷いて見せた。
「そう。あいつはな、治らないんだ。治らないものを治そうと努力しても徒労に終わるだけだ。世の中には負けるが勝ちとか、戦略的撤退って言葉がある。一生つき合っていかなきゃいけない、致死じゃないけど不治の病ってもんがある」
山辺もあくまで真剣な顔だ。
「カズイ、要するに、諦めろ。諦めて、運命を受け入れろ」
「はあ……?」
大袈裟な山辺の言葉に、ビールをまた一口飲んで、淡野は大きく首を捻る。
「どうして俺が、尾崎に関して諦めないといけないんだよ?」
「じゃあカズイ、おまえ、…敦彦(あつひこ)と戦って、勝てるのか……?あのわけのわからん情熱と思い込みとカズイへの偏愛だけが行動原理になってるあの男をどうにかして止められる自信があるのか」
飲み会開始十五分ですでに酔いでも回っているのか、ドッと、山辺が拳でテーブルを殴りつけた。
淡野はその勢いに押されて身を引きながら、眉間に皺を寄せる。
「つか、俺はあいつと戦う必要もあいつの行動を止める理由もねえっての。前はともかく、少なくとも今は」
「……」
田野坂と山辺と栗林が、揃って淡野のことをまじまじみつめてから、おもむろに、テーブルの上に突っ伏した。
「……お、おまえなあ……」
なぜ三人揃って突っ伏して震えているのか、淡野にはわけがわからない。
「しれっとした顔でそんなものすごいのろけを……!」
くぐもった声だったので、三人のうち誰がそれを言ったのかわからなかったが、どうやら全員が同じ叫びを上げたいらしいようだったので誰でも同じだ。
「俺と尾崎が揉めない方がおまえらは嬉しいんだろ。どう言えば俺は叱られずにすむんだよ、ったく」
呆れた声で言い放ってビールを飲んだ淡野に、三人がまだテーブルに撃沈したままブルブル震えている。
何なんだ、と呟きつつ、淡野はそれを放っておいて摘みも口に放り込む。
最初に立ち直ったのは、山辺や田野坂よりもまだつき合いが親密でなかったせいで『被害』の少なかった栗林だ。よろよろとテーブルから身を起こして、何かを悟った顔で頷いている。
「ま、まあいいや、何かもういいや、末永くお幸せに……」
「おう、そのつもりだ」
栗林の言葉にありがたく頷くと、ゴッとテーブルで凄い音がした。山辺がなぜか額をテーブルにぶつけている。
一体何なんだこいつらは……と淡野が呆れていると、店員に案内されてやっと尾崎が顔を出してきた。
「悪い、遅くなった」
そう言いながら、尾崎がちらっと怪訝そうに、テーブルに突っ伏している山辺と田野坂、やけくそ気味に笑いながらビールを呷っている栗林のことを見遣る。
「何だこれ?」
「知るか」
首を傾げる尾崎のために、山辺が何も言わずに淡野の隣の席を譲り、自分はひとつ隣にずれた。尾崎は当然の顔でその空いた席に腰を下ろす。
「何で遅れたかとかは言わなくていいからな、敦彦」
先回りして釘を刺した山辺に、尾崎が怪訝そうな顔になる。
「いや、単に、闇雲に部屋を掃除してたらいつの間にか時間が経ってたってだけだけど」
「おまえが闇雲に部屋を掃除する時って……や、いいや、いいんだ、これ以上深入りしない方がいいって気がする……」
山辺が一度両手で頭を抱えてから、割り切ったように顔を上げ、空いているグラスにビールを注いで尾崎に押しつけた。
「それじゃ全員揃ったところで、かんぱーい!」
かんぱーい! と田野坂と栗林も、やけにテンション高く唱和している。首を捻りつつ、淡野と尾崎もそれに従った。
「――悪い、今朝、黙って帰って」
がぶがぶとビールを飲み始める三人に聞かれないように声をひそめて、尾崎が淡野に囁いた。三人とも聞こえないふりで、別の話題に興じている。
淡野はただ肩を竦めて見せただけだった。
「また今日も奢らされそうな勢いだから、今日の分はおまえが出せよ」
前回も、前々回も、淡野と尾崎は他の奴らの酒代を持つ羽目になった。
しかし、奢られるくらいで許してくれる友人というのもまた、得難いものなんじゃないだろうかと、淡野は懲りずに自分を飲みに誘う田野坂たちを見ながら思う。
「まあ、田野坂が彼女と別れたりくっついたりするたびに、あいつにも奢ってもらったしな」
自分がいない間にこの場で交わされた会話をだいたい察したのか、尾崎が苦笑気味に笑って頷いた。
「……いいなあ、俺も恋したいなあ……」
顔を寄せて囁き合う淡野と尾崎を見て、ビール瓶を握り締めた栗林が唐突にそんなことを呟いた。
山辺が手を伸ばし、その栗林の胸ぐらを掴んで揺さぶる。
「しっかりしろ、こいつらを見てそんなこと思ったら、何かが終わるぞ!」
ひどい言いようだったが、淡野にも尾崎にも反論がし辛い。
「そうだぞ栗林、見習うなら俺と嫁のラブラブぶりを――」
「田野坂も黙ってろ、新婚ボケが」
吐き捨てるように言って、山辺が栗林の手からビール瓶を奪い取って、そのグラスにビールを注ぐ。
「よーしじゃあ今日も、飲むぞー!」
結局いつものパターンだった。山辺は全員のグラスに溢れるほどビールをつぎ足し、意味もなく二度目の乾杯に突入する。
「世の中のバカップルすべてに乾杯! 滅びろ馬鹿共!」
山辺が叫んで栗林もグラスを高く掲げ、田野坂が「俺と嫁の愛は不滅だ!」と宣言して山辺たちにおしぼりを投げられる。
淡野と尾崎も、仕方なく笑いながら田野坂におしぼりを投げつけ、泡の零れるグラスを掲げた。








