昨日の相棒も、前回に引き続きオタク話であった。
と書いて気づいたんですけど、放映見てない人は上の文章を見て「ああ、メイドカフェとか行く人たちか」と思ってしまうかもしれない。
最近自分の思い浮かべる「オタク」と世間一般で言われるようなそれのイメージの間に齟齬があるのではないかと思えてきた。
わたしの意図するイメージは「ひとつのものごとを常識外れて追究する人」です。そして自ら作り出す人。創作者、クリエイターでなくとも、他の誰も知らない・追いつけないほどの情報を持っていたり、蒐集する人。
しかしテレビなどのマスメディアが演出するオタクは、他人が提供する既製品をを何の疑いもなく手に入れて、自分では何も作ってはいない人のように見えます。
それがいいとか悪いってことじゃなくてな。
マニアの本質(って何だ)には言及せず、一般からは理解できないことに熱中するコミュニケーション不全の部分ばかり誇張しておもしろおかしく取り上げているのは、フェアじゃないなと思う。
こういうタイプの人が有明などに多いのも事実だとは思うけどさ。
などということを考える二月。
まあカテゴライズはどうでもいいし、オタクって言葉の印象が気に喰わなければ自分が変えればいいだけの話なんですが。
昔「マニー」っていうまんが (ウィングス・コミックス)を読んで非常に感銘を受けた。名作なので復刊すればいいのに。
というかこのまんがのせいでわたしのオタク感が形成された気がする。
というかこのまんがの中で、主人公が自分のことをマニーって読んでるんだから、わたしの勝手にイメージするオタクは今後マニーと呼べばいいだけな気がしてきました。
ついでなので(?)、マニーの中で特に感銘を受けた部分を引用します。
「み…みつけた!! 彼女こそ本物よ!
その証拠に女性でありながら29インチTVとβビデオMSX2を持っているわ!!
さらに中学生でBASICをマスターして、今ではマシン語だってそれなりに使いこなせるつわものよ。ウルトラ怪獣の名前だって全部知っているそうよ!!」
「そこいらのコレクターやオタッキーと違う!! ボクは正真正銘のマニーです!」
つまりそういうことであった。電車男とかげんしけんくらいでオタクを名乗るのはおこがましい。でも世間がそれをオタクと呼ぶのなら、その呼び名をわたしは捨てよう。
でもこういうこと↑を声高に主張する人こそオタクというもので、まあ、どうでもいいや。