映画「国宝」観てきたNew

大ヒット上映中|ただひたすら共に夢を追いかけたー
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上映時間三時間に怯んでなかなか行けませんでいたが、みんなが絶賛する中映画館で見逃すのも勿体ないと、思い切って行ってきました。

何しろ胃腸が弱い上にトイレが近く、映画や舞台の時は病的にトイレが心配になる、おそらく心因性頻尿というやつなので本当に迷ったんですが、地元の映画館ならどうせ人がおらんだろうからトイレに出入りしやすいと自分に言い聞かせ、エイヤとチケットを取ってみた。前に私ともう一人しか観客がいないこともあったので、トイレは行き放題に違いないと。

しかし行ってみたら、ほぼ満員御礼状態でびっくりしました、人いっぱいとは聞いてたけどここまでとは…。
そして九割高齢者だった。題材的に足を運びやすいんですかね、この寂れた村(村ではない)にこんなに人がいたのか…と本当に驚いた。過疎村にとってはありがたいことです。

しかしトイレに行きたくなっても行けるような人の入りではないという緊張感がすごかった。
結果としてはギリギリ大丈夫でした。よかった!

「中村仲蔵」の仲蔵から狂気とエグ味を取り除いて女と吉沢亮と竹野を足した感触でした。
とにかく美しかった。

まだまだ上映中なので一応ネタバレ対策。

ネタバレ注意

以下ネタバレ感想がありますのでご注意ください

冒頭の、雪の中で散っていく任侠のシーン、そして子供時代のシーンがあまりに美しすぎてそれに囚われてしまったよ。

子役が本当にすごかったです、す、すごい、どっちも、美しい…。

喜久夫が来た時の俊介の反応で、「あ、苦手なやつかも」と一瞬身構えたんですが(「余所から来た子を本当の子供が妬んで壮絶なイジメをする」のが「才能ある主人公が成功するための枕詞」的な筋立てがどうにもキツいので)、全然違う方に行ったのでむしろ大興奮でした…。

ありがとう。ありがとう「国宝」。ええもんを観た。

大人になってからも、喜久夫と俊介の関係性がよくて…というか俊介がすごくいい子で、最高の御曹司で、こういう辺りの表現はすごく令和っぽいなあと思いました。
これが才能と血を巡ってギスギスしっぱなしだったら、本当に苦手なやつなんですが。昭和の映画だったらそりゃあもうえげつない表現になっていただろうな。
そういう「わかりやすさ」はおなかいっぱいなので、二人の距離感というか温度感が控え目ながらに熱かったり、時に冷えていたりというのが、気持ちよかった。
表には出ていないけど、俊介がどれだけキツい思いをしたのかが伝わってくるのがね、よかったですね。台詞と演技が抑圧されていて、展開とのバランス感が心地よかった。

喜久夫は別に歌舞伎じゃなくてもよかったんだろうな、あの風景を追い求めているなら画家でも小説家でもよかったんだろうな、なんでも「もの」にしたんだろう、と思う。
なのに俊介のいる家にやって来たのは、幸なのか不幸なのか。幸か。相手が俊ぼんじゃなければいびられて、見下されて、もっと荒んでいただろうし。
でもいっそその方がいろいろな出来事の辛さが半減されたんだろうな。
子供時代の思い出は宝物だろうからワース。

踊りへの執着という点では半次郎の方がまあ凄まじくて、改めて渡辺謙という俳優のものすごさに震えるばかりでした。
観終わったので人の感想をちらほら見に行ったんですが、中に「片脚になっても踊ろうとする俊介の執念は美しく、目が見えないのに名声を得ようとした半次郎は醜悪」というのがあったんですが、私は逆に捉えてました。
お客は俊介の状態を知ってチケットを買ったんだからいいんだろうが。通常通りに演じるのは明らかに不可能な状態で上演するっていうのが、あまりに非現実的すぎるというか客に対して失礼な気がしたんですが、しかしファンならそれでも観たいものか…わからん、私は多分観たくはない方のタイプなのですが、観たいっていう人がいるのもわかる気はする。
で、半次郎の方は、明らかに血よりも才能を選んだじゃないですか。半次郎を継ぐのは息子ではなく赤の他人の喜久夫、って決めるまでに、ものすごい葛藤とか軋轢があったはずで、それでも才能を選んだ。家を、歌舞伎を生かすには血ではなく才能だとまで思っていたかもしれん。
これも描写的には葛藤の部分が描かれずに「もう決めたこと」とサッと表現されていたけど、死ぬ間際に息子の名前を呼んだところにね、ものすごい迫力と憐憫がありました。
それほどまでに愛していた息子を失っても構わないくらい芸や才能にすべてをかけていた、っていう表現と、譫言のように俊ぼんの名前を繰り返す半次郎を目の当たりにした喜久夫があまりに可哀想で、あのシーンに一番殴られた気がする。
喜久夫は本当に、踊りじゃなくてもよかったけど、踊りしかない状態で、大好きな友達を蹴落としてまで得たはずの立場をあっさり失ってしまう。
そのあたりをくどくどと描くのではなくて、淡々と美しい映像で流れていくところがよかった。
車が壊れて彰子と二人で荷物を抱えて行くところ、彰子が去って行ってしまうところ、あのあたりの表現にグッと来る。
観客をすごく信頼してくれているのか、映像の力を信頼しているのかはわかりませんが、今日日こういう映画が撮られて、話題になっていることがとても嬉しい。こういうのがいいなあ。

あと目が見えなくなってからの渡辺謙の老いの演技が本当に凄まじすぎて、見終わったあと実年齢を確認してしまった…大丈夫かしらと思って…大丈夫でした。長生きしてほしい。
田中泯の凄味も相変わらずで圧倒されました。この人こそ狂気の塊である、狂った人生を送ってきたんだろうなあというのが登場のたびに伝わってきて手に汗握った。役者とは、舞踊家とは、とんでもないものだなあ。長生きしてください。
この二人あってこその映画だった。屋台骨がドンとしていると観ていて安心する。

そして竹野。おまえのことをもっと知りたい。教えてくれ。
いや喜久夫と俊介、蚊帳の外の竹野ってもう最高の配置でそれだけで一ヵ月ごはんが食べられるよ…原作読めばもっとわかるのか? 映画でも充分な栄養が取れたんですが掘れるならもっと掘りたい。竹野の生まれと育ちと行く末が知りたい。

子供時代パートの映像と子役の演技が好きすぎて、国宝は国宝として、子役のまま違う映画として観たいなと思ってしまったんですが、そうすると竹野がいないからな。竹野のいない国宝なんて…。

なんか言いたいこととか語りたいことはいっぱいあるんですが、竹野のことを考えるとオタクの早口で全部吹っ飛ぶのでよくないです。竹野の人生が知りたい。教えてくれ竹野。

女性陣のことも小説だともう少し詳しく書かれているようなので、原作を読んでみようかなと思います。
私がテレビを観なさすぎるせいで、寺島しのぶ以外の女優さんの区別がつかず、誰がだれとくっついて子供を作ったのかわからないまま最後までいってしまって台なしです。本当に台なしで申し訳ない。
寺島しのぶは、彼女以外にこの役はありえんという役どころでしたね…渡辺謙、田中泯、寺島しのぶ、そして竹野。この人たちがいなければならぬ映画でした。竹野役は三浦貴大さんという名前なので覚えておこう。ああ、竹野…。

見終わってから永瀬正敏と宮澤エマの名前をみつけて「どこに!?」と思ったら喜久夫のお父さんと後妻さんか!
お父さんがはちゃめちゃに格好ええなと思っていたんですが、そうか、永瀬正敏か…あまりによかったのでまた任侠をやってほしい。
あの最初のシーン、お父さんが殺されるところまでの映像が好き過ぎてたびたび思い出す。お義母さんと喜久夫の距離感もよかったし、必死に喜久夫を庇う半次郎も、任侠らしく散る権五郎も、夢のように美しかった。
喜久夫が追い続けた景色はただあの雪の降る場面だけではなく、そこに到るまでの記憶すべてだったんだろうなあ、と勝手に思っています。