欠落しててもいいじゃないのNew

この日記を書いた日にですね、

いつの間にこんなに日暮れが早くなったの?
買い物に行かなきゃならないけど、暑い中出かけるのは嫌だなあ、と夕方を待っていたら、6時を過ぎる頃には日が落ちていてびっくりした。いつの間に秋ですか? ずいぶん涼…
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実は一人で吉野屋に行って牛丼食べたんですけど、その時セルフで水を汲もうと思ったんだけど、ウォーターサーバーが見当たらなくて、近くにあった伏せてあるたくさんのコップとウォーターピッチャーが目に入って、

あ、これかと思ってコップを片手に、ピッチャーから水を注ごうと思ったんですよ。

そしたら水が入ってなくて、いっぱい入ってる氷が勢いよく蓋を突き飛ばして、辺り中に氷をぶち撒かしてしまったんです。

もう店内注目の的。

やってしまった…と恥ずかしさと焦りで赤くなったり青くなったりしつつ、店員さんに謝ったら、「大丈夫ですよー!」ってすごい元気よく明るく応えてくれてとても救われた…。

たくさん氷をぶちまけたので、掃除に時間が掛かっていたんですが、手伝うのも迷惑かと思って小さくなって買った本をこそこそ隅っこの席で読みながら牛丼食べてました。

というのを、何か恥ずかしくて日記は書かなかったんだけどさ。

居たたまれなかったのでそそくさと牛丼を平らげ、お店を出て、もう落ち着かないのでタリーズに行って牛丼食った上にラテを飲むという暴挙で自分を慰めようとしていたんです。

そこでおもらし事件に遭遇したってわけ。

で、その時に読んでた本がこれなんですよ。

トットちゃんこと黒柳徹子さんの、幼少期から執筆当時に至るまでのやらかしエッセイ。

私はトットちゃんの本を読む時、面白いんだけど、自分と重なるところにしんどくなることがあって、つくづく家族や周りの人に「ごめんなさい」と繰り返し思う…。
家族からときどきひどい扱いを受けてきましたが、まあ「欠落」しているクソガキに対しては、そう躾けるしかなかっただろうな、イライラしただろうな、嫌だったろうな、と落ち込んだり反省したりするんですが、でもトットちゃんがずっと長い間明るくて可愛くて人気者だという事実に救われる。

私は割と自分の失敗を笑い話として話したりブログに書いたりするんですが、昔知り合いだった人から「あなたのブログを読んでる人は馬鹿にするか哀れみしか感じないと思う」と言われてすごく悲しかったことをたまに思い出して、書いた記事も「読んだら笑われるだけかもな」と思って公開しないことが結構あるんですよね。

まあ日頃は好きなように生きているのでたいして気にしてないんですが、私も私が「欠落」していることを知っているので、普通の人がちゃんと生きて暮らしているのに、自分はそのやり方がわからないという事実に直面すると、気弱になってしまうこともある。
特に子供の頃はそうでした。なんで私はみんなができるいろんなことが同じようにできないんだろうなあ、としょんぼりすることも多かった。

けど「トットの欠落帖」を読んだら、トットちゃんはやっぱり可愛くて、おもしろくて、今でもこうして文庫化して広く楽しまれているという事実が本当にすごく、自分が生きていく上での救いになってるなあと再確認したりしました。

トットちゃんもおもらしキッズも元気に生きている。
私も元気に生きよう。

みたいなことを、読み終わってしみじみ思ったのでメモしておきます。