ゆうべはまた全然寝られなくて、一旦夜10時にはベッドに入ったんですが、全然寝つけず、結局明け方くらいまで呆然と横たわっているだけだった。
一時くらいに宵っ張りの同居人がキッチンに来たので(私の部屋はキッチンの真横にある)、起き出して、眠れないよと泣きついたら、「どうしたの?」と聞かれたので、「自分の知識のなさや智慧のなさが辛くて、死ぬまで愚かなのだろうかと考えたら眠れなくなった」と正直に答えたら、「何言ってんだこいつ」みたいな顔をされた。
「あなたにはそういう時はないんですか?」
と聞いたら、
「ないよ」
と。
ないのか!
「好きな漫画が完結しないまま死んだらどうしようと思って眠れないことは?」
「ない」
ないんだ…永野護が好きなのに…。でも永野護ファンって別にファイブスターが終わるのを待ってる感じでもないからなくても普通なのか。私ももうガラスの仮面については諦めて自分が勝手に今後の展開を決めてしまったので、実際出て来たものが違ったら公式が正義なのは当然だから自分の心とどう折り合いをつけよう、という別の不安を抱くようになりましたが。
いろんな不安を抱えて生きている。
猫に関してのみならず、すべてに関して杞憂して生きている自覚はあるが、もしかしたら人よりそれが強いというか多いんですかね私は。
同居人は眠るのが大好きで、眠るのが怖いという気持ちが一切理解できないというので、そういう人が存在しているという事実が心強いです。そうありたい。
そういう人と私みたいな人とどっちが多いんだろう、人類の割合的に。
最近本当に自分の知識のなさや智慧のなさが怖ろしくて、克服ためにとにかく本を読もうと思って読書に耽っているんですが、こういうのって十代の頃にやるものじゃないかと我ながら思う。
十代の頃も狂ったように本を読んでいて(高校時代は通学時間が長かったので、一日四冊ペースで読んでいた)、エンタメ小説ばっかりで、それはそれでとても魂の栄養になったし多分それをやらなかったら今頃生きていないと思うんですが、何かこう意地のように「エンタメ小説以外を読むような人間になるまい」という謎の決意をしていたんですよね。
小説やエッセイ以外の、ルポルタージュとかノンフィクションとか学術的なものを読むのを避けていた。
あれは何の意地だったんだろう。現実に対するアンチテーゼか?
まあ小説を読んでいれば自然と興味を持つ分野は出て来て、高校卒業後は何だかんだ創作物以外の本も読むようにはなるんですが。
というか高校の頃もスポーツ関連の本を中心に小説以外の本も読んではいたが、あれは「読書」じゃなくて「勉強」だったんだよな多分。「読書」は自分にとって大切な娯楽なので、「勉強」のために本を読むという行為を嫌っていたんだろう。と今気づいたというか思い出した。「好きだから読む」が自分にとって絶対的な正義で、知識を得るために本を読むというのが薄汚い行為に感じられていたんだった。
な、何で?
一番知識を吸収しやすい時期に、頭のよさそうな本を全然読まなかったのは致命的だったよなと思います。「頭のよさそうな本」とか書く時点で致命的に知性がない。
最近生成AIについていろいろ調べているせいもあって、人にとっての知識とは、智慧とは、知性とは…みたいなことを考えてしまってますます夜眠れなくなる。
思い詰めてChatGPTに「知性を得たいけどどうすればいいのか」と聞いたら「本読めば?」って言われたので、まあ、本読みます。
まんがも読みます
この購入記録が6/9で、ここから7/28まで途切れるんですよね。
私が一ヵ月以上も漫画を買わないというのは子供の頃から考えて異常事態なので、もう何回も書いてるんですが、ここの時期の精神的な逼迫は本当にヤバかったなと履歴画面を見て思う…。
ゲームもしてなかったし何やってたんだろ、と今思い返したら、ずっと栄冠ナインやってたわ。ゲーム全然やってたわ。ちょうどにじさんじ甲子園2025の時期でしたね。休憩時間に栄冠の配信見ながら自分で栄冠やってました。
しかも攻略ノートまで作ってた。どの選手のどの能力を伸ばして、どういう戦略で…みたいなのを滅茶苦茶調べて一生懸命メモしてましたね。げ、元気じゃん…。
パッケージ版を置くところがなくなってきたので最近ゲームはほぼオンラインコードで買っている。
