元魔王の逆行魔術師は恋と快楽に堕ちる/新書館ディアプラス文庫/渡海奈穂 恋した王子に義母上と呼ばれています/新書館ディアプラス文庫/渡海奈穂 兄から先に進めない/新書館ディアプラス文庫/渡海奈穂

電子限定「元魔王の逆行魔術師は恋と快楽に堕ちる」各サイトで配信開始しました【BL】+冒頭大ボリューム試し読み

ほか各電子配信サイトで購入できます。

禁忌の黒魔術使いとして〈残虐王〉アルシーザに処刑された〈魔王〉フィオン。
目覚めたら時を20年ほど遡り、幼い姿に戻っていた。今度こそ真っ当に生きようと人生立て直しを図るが、フィオンにはあらゆるものを魅了する性質があった。
夜な夜な現れる精霊に不埒な真似を仕掛けられ、すっかり感じやすい体に開発されてしまう。
快楽に流されるまいと己を律すること5年。ようやく入学した全寮制の学院で、フィオンは若きアルシーザ王子と再会し……!?
逆行再会から始まるエロティック・ファンタジー!!

新書館 ディアプラス文庫
カバーイラスト:北沢きょう

ためしよみ

※修正前のデータのため、一部配信版と異なる部分があります。

プロローグ

 魔力で作られた明かりがほのかに灯る薄暗い部屋の中、寝台の上でいくつかの柔らかい肉にしなだれかかられていても、それが誰で、何人に寄りかかられているのかすら、もうわからなくなっていた。
「フィオンさまぁ……お口、開けてくださぁい」
 甘い声に誘われるように唇を開く。ぶくぶくと膨らみ続けた肉体はすでに酒の入ったグラスを自分の口につけることすらできないほど肥大している。体重は百キログラムか、二百キログラムか、それ以上か。
 とはいえ、フィオンには魔術がある。別に自分の手足を使わずとも、ちょっとした呪文を唱えるだけで酒を口に運ぶことはできる。普通の人間であれば自重で砕けそうな骨を保っているのも魔法のおかげだ。
 だが魔法を使うより、周りに侍る女たちに給仕させるのが一番楽だった。
 部屋にいる女たちが五人なのか十人なのかも、フィオンの濁った視界ではよくわからない。まあ、何人でも一緒だ。いずれも行き場のない憐れな女ばかり。
 そう、全員、『ウェリンシアの魔王』に献上された憐れな生贄だ。
(魔王とまで呼ばれる男の元に、よくも娘だのを差し出せるものだよ)
 ウェリンシア伯爵家の若き主が、法によって固く禁じられている黒魔術に手を染め、わけても最大禁忌とされている殺人を生業とし、その対価で資産も体も肥え太らせ続けているという噂は、ただの真実でしかなかった。
 客はすべて上級貴族ばかりだ。政敵を、恋敵を、自分に恥をかかせた相手を、ただ気に入らない人間を始末するのと引き替えにして、彼らは金や酒や薬や宝飾品と共に、若い女を送り込んできた。だからフィオンの元にいるのは他人の欲望のために売られた女。魔王の機嫌を損ねれば生きられないと察して、黒魔術の贄にされるのではという怯えを媚態の裏側に隠して必死で擦り寄る憐れで惨めで愛しい生き物。
 魔王にいつ殺されるかわからないという恐怖を忘れるためか、彼女たちも進んで酒精や薬に溺れ、虚ろな瞳でだらしなく開いた唇の端から涎を零しながら、蟇蛙のように醜く爛れたフィオンの体に身を擦りつけてくる。
 フィオンは大きく唇を開いて女たちの寄越す酒を受け入れた。浴びるように飲む。溺れるように飲む。広い寝室の中には甘く腐敗した濃密な空気が充満していて、それを吸い込むたびに脳が溶けてしまいそうに気持ちがいい。神経を鈍らせる薬草を燃して出る煙の効力を、ちょっとした魔法で強めていた。その煙のせいで、フィオンの視界はいよいよ濁る。
「フィオンさま……」
 いくつもの腕が裸の体にべたべたと纏わり、絡みついている。
 ただ酒臭い息と醜悪な魔術を垂れ流すばかりでしかない自分という存在を、泥沼の温かさの中で心地いいと思う。
(さあ次は、誰を殺すか)
 依頼は山積みだ。フィオンの暗殺が噂になるにつれ、次は自分かもしれないと怯えた貴族たちが、張り合うように金や宝石や美女たちを抱えて屋敷に押しかけ、あいつを事故に見せかけて殺してくれ、こいつを不治の病に冒してくれと懇願してくる。
(そのうちこの国には、貴族なんていなくなるじゃないのか?)
 そう考えると何だか愉快だった。愚か者同士の殺し合い。そろそろ『魔王』を暗殺するために魔術師を雇い始めている頃合いか。だが無駄だ。
「この国で、僕より強い魔術師などいるものか」
 笑い含みで呟いた時、部屋の外で物音と、慌ただしい悲鳴のような声が聞こえた。耳に障る騒音にフィオンは舌打ちする。不健康な生活のせいか魔術を使いすぎているせいか、今やちょっとした光や音でもひどい頭痛に嘖まれるようになっている。屋敷の中では大きな物音を立てないよう厳しく言いつけているはずなのに。
「殺してやろうか」
 ブツブツと呟くフィオンの独り言は、大股に部屋へ近づく高い靴音と、力任せに寝室の扉を開け放たれる音、部屋の外から飛びこんでくる明かりのせいで掻き消された。
「……ッ」
 眩しさに、思わず顔を顰めて目を細める。
「ウェリンシア卿――フィオンで間違いがないな」
 澱んだ空気を貫く苛烈さを孕んだ声が、フィオンの名を呼んだ。
 この館に、寝室に、先触れもなくずかずかと踏み込んできたのは何者かと、誰何する必要はなかった。
 どうにか明かりに慣れた視界に、闖入者が胸につけた徽章が飛び込んできたのだ。
 清廉と真実を司る花を咥えた大鷲の姿――この国を支配する王家を表す紋章。
「ヒッ」
 相手の正体を察した瞬間、フィオンは無様な悲鳴を上げながら、自分に絡みつく女たちを突き飛ばし、ベッドから飛び降りようと蠢いた。だがあまりに肥大化しすぎた体はただクッションの山の中にひっくり返り、手足をばたばたと動かすことしかできなかった。
「醜い」
 呟きが耳に飛びこむが、フィオンの全身を占めるのは怒りでも羞恥でもなく、ただ凍りつくような恐怖だった。
「ざ……」
 思わず相手の二つ名を口走ってしまいそうになりながら、フィオンは辛うじてそれを飲み込んだ。
(残虐王アルシーザ)
 少しの不正も許さず、人を陥れるような悪徳により財を得た者は即日斬首を申しつけ、ついには自らの実の父である先王や兄弟すら断頭台に追い遣った、あまりに冷酷無比な若き王を、この国の民たちは恐れを持ってそう呼んでいる。
 そのアルシーザが何をしにこの館にやってきたのかは明白だった。
 この国の王は、貴族に対する即時死刑執行権を持っているのだ。
 数人ばかりの護衛を背に『魔王』フィオンの前に立ち、無造作に訊ねる王の相貌には、冷酷という言葉では足りないほどの酷薄さが宿っている。
 フィオンは寝台の上で蛙のように引っくり返ったまま、身動ぎすることすらできなかった。
 長身、黒曜石のように艶やかな黒髪、底光りする紫紺の瞳、硬質に整った顔立ちを持つアルシーザはあまりに美しく、そして抜き身の刃物のように怖ろしかったのだ。
 彼が手にする実物の長剣などよりも、アルシーザという男の存在そのものにフィオンはその全身を、魂の芯までをも、凍りつかせた。
 どのみち二百キログラムを超える体では、逃げようもない。周囲の女たちも、突然押し入ってき男と、その背後に連なる剣や槍を構えた騎士の集団を見て、悲鳴を上げその場で腰を抜かすだけだった。
「これまでの罪はすべてわかっている。放っておけば、貴様はいずれこの国すべての貴族を滅ぼすことになるだろう」
 フィオンは全身から脂汗を流して首を振った。
「ま……っ、お待ちください、せめて、せめて法廷で申し開きを」
「真実は明白だ。言い訳は不要、ザイデルム王アルシーザの名において、貴様を処刑する」
「ひぅ……ッ」
 使い慣れたはずの呪文は頭の中でばらばらに崩れ落ち、咄嗟に相手を傷つける魔術を組み上げることすらできない。
 あんまりだ。フィオンの頭を占めるのはそんな言葉ばかりだった。あんまりだ、僕の人生はあんまりすぎる。こんなところで死ぬのか。弁解も許されず殺されるのか。
「やめろ、やめてくれ、殺さないで……!」
 ボロボロと涙をこぼし命乞いをながら、それでもフィオンは必死にこの場を逃れるための術を探そうと、王を見上げた。
 そして、今にも自分の首に剣を振りおろそうとする男の双眸から、殺意も何も読み取れないことに愕然とする。
(ああ、何て、空虚な瞳だ)
 何もない。この男は何も持っていない。あるのは空虚な正義だけ。
 そう気づいたら、フィオンは唐突に可笑しくなった。
 王という立場にありながら、豪奢な宮殿の玉座で大勢の臣下に囲まれていても、彼もまた、孤独なのだ。
 フィオンにはなぜかそれがはっきりと、事実として、理解できた。
「何を笑っている?」
 氷のように冷たいアルシーザの声が問う。
「あんたも僕と同じじゃないか」
 恐怖と可笑しさのせいで止められない涙と鼻水で顔を汚しながら、フィオンは吐き捨てた。
 アルシーザの眉が微かに動いた。
「……何?」
「僕はたしかに、いずれこの国の貴族すべてを殺す最悪の罪人だろうよ。けどあんたの正義だって、いずれ誰のちょっとした罪も許せず、国中の人間を殺し尽くす。そしてあんたは誰もいなくなった国でひとりぼっちだ。いや、今だって」
 アルシーザが無言で長剣を握る右手を振った。避けることもできず、フィオンは忌まわしいほど鋭い光を放つ鋒が自分の眉間に振り下ろされるのを、見開いた瞳でみつめる。
 かつて味わったことのない絶望と恐怖がフィオンの全身を覆った。
(いやだ――死にたくない、死にたくない、死にたくない死にたくない死にたくない)
 声にならない悲鳴が体中に響く。
(ひとりは嫌だひとりで死ぬのは嫌だ嫌だ怖いこんな嫌だ死にたくない)
 剣のひらめきを見たのはただ一瞬。直後、視界から光が消える。
 痛みは感じなかった。
(人を)
 だがそのまま、フィオンの意識は永遠に途切れた。
(愛したい)
 そしてすべてが、終わった。

「うわぁっ!」
 悲鳴と共に、ベッドから飛び起きた。
 心臓がばくばく鳴って、喉はからからで、なのに全身から恐ろしい量の冷や汗が流れ落ちている。恐怖に体中が、いや精神までもが強張った感じで、しばらく身動きが取れない。
 薄い寝間着の上から心臓を押さえつけ、しばらく肩で息をしてから、僕はようやくきょろきょろと辺りを見回した。
「ゆ……夢……?」
 わんわんと耳鳴りがしている。涙で歪んだ視界に入ってくるのは、見慣れない部屋だった。温かみのある木材の腰板、森や小鳥や木の実の描かれた優しい黄緑色の壁紙、それより少し濃い緑の絨毯。
 そして僕が横たわっていたらしい天蓋のベッドは、ずいぶん広くて大きい。
 妙に寒々しく感じられるのは、そうか、女たちがひとりもいないせいだ。
「何だ……ここ……」
 どうやら僕の屋敷の寝室ではない。脳がクラクラと痺れるような匂いも煙もなく、そのうえ常に悩まされていた視界の靄も頭痛も嘔吐感もなく体が妙に軽い。
 ――まさか僕はあの男……アルシーザ王に許されたっていうのか?
 冷酷無情で慈悲の欠片もないっていう男に?
  頭をかち割られたと思ったのは気のせいで、脳天を打ち砕く寸前に剣が止まって、でも殺されたと思い込んで気絶したとか?
「いや、そんな、都合のいい……」
 ブツブツとつぶやきながら、僕はあることに気付いた。
 耳に届く自分の声が、妙に幼い。さらに言えばいとけないという以上にあどけなく、こう、やたら可愛らしく甲高いのだ。
 まるで声変わりを迎える前、十歳かそこいらの子供のような。
 悲鳴を上げすぎて喉が潰れたか……?
 何となくその喉を押さえた時、コツコツと軽快にドアをノックする音が聞こえた。返事をする前にドアが開き、三十代後半か四十代前半かというくらいの、白髪交じりの髪をきっちり整えた痩せた女が姿を見せた。
 女は、こちらを見てやたら嬉しそうににっこりと笑う。
「おはようございます、フィオンぼっちゃま。ふふっ、今日もお寝坊さんですね」
 ……待て。
 待て、待て、僕は、この女に覚えがあるぞ。
 身動ぎもできずに固まっている僕に、女は両頬、額と、唇を押しつけるようにキスを繰り返してから、顔を覗き込んで来た。
「まあま、ずいぶん汗びっしょりでいらっしゃいますこと。暑かったですか? 湯浴みの準備をいたしましょうね」
 上機嫌な様子で言って、女が部屋中のカーテンを開けて回る。
 おそらく昼前らしい太陽光が差し込み明るくなった部屋を見回し、気付いた。気付いてしまった。
 この部屋は見慣れないが、見覚えがないわけではないと。
 そう、知ってる、知っている気がする、この部屋を、そして、うきうきした様子で僕のいる寝台に近づいてくる女のことも。
「ジャ……ニス……?」
「はい、ジャニスでございますよ、ぼっちゃま。まだ寝惚けておいでですか?」
 ヒュッと、勢いよく飲んだ息のせいで、細い悲鳴のような音が喉で鳴る。
 ジャニス? ジャニスだって? 僕が生まれた時からそばにいたナニー。母方の親類の未亡人。僕が乳母の要らない歳になってもずっと一緒に過ごしていた、家族よりも親しい人。
 だが彼女は五年前、僕が二十四歳の時に、心臓の持病が元で死んだはずだ。
「お湯を運ばせますから、汗を流してさっぱりして、それから朝食にいたしましょうね。ぼっちゃまのお好きな蜂蜜たっぷりのパンケーキを用意してありますからね」
 ジャニスが部屋を出て行く。
「待……っ」
 彼女を呼び止めようと手を伸ばし、僕はそのまま、寝台から転げ落ちた。
 そう、床に下りようとしてバランスを崩し――つまり自分の力で、二百キログラムの巨体を動かしたのだ。
「痛った……」
 骨が折れ内臓が潰れたんじゃないかという心配はまったく杞憂だった。無様に床に転げた体は、あっさりとまた自力で起こすことができたのだ。
 その時にはもう自分の手足が視界に入っていたから、本当はとっくに、わかっている。
 震える脚で、どうにか立ち上がり、壁に貼られた楕円形の鏡へとよろよろ向かう。
「……」
 そこに映し出されているのは、目と唇を大きく見開いた、あまりにあどけなくあまりに愛らしい少年――僕、フィオン・ウェリンシアの幼い姿だった。

 

 どうやら殺される二十九歳までの記憶はそのまま、僕の肉体含め、周りの環境が十歳の頃に巻き戻ってしまったらしい。
 というよりは、僕の精神だけが十九年前の時間に放り込まれたと言えばいいのか。
 ひとときの酷い混乱から立ち直ると、僕はあれこれ調べ回ったり考察したりした挙句に、ようやくそう納得した。
 ここは僕が生まれ育ったウェリンシア伯爵家の地方屋敷。
 父は議会への出席や商売のために首都にある屋敷に居続け、母も慈善事業にかまけて家に居着かず、二人とも隠すことなく複数の愛人を侍らせていて、多分僕の存在なんて忘れている。
 その二人に変わるように、僕を溺愛、いや偏愛といっていいくらいの愛情を注いでいたのが、ナニーのジャニスだ。
 この頃の僕と言ったら本当に美しく、抜けるような白い肌、明るい翠緑の瞳に影を落とすほど長い睫、光に蕩けるような蜂蜜色の髪を持ち、手足は細く長く、総じて精巧に作られた磁器人形もかくやという容姿だったから、無理もない。
 ジャニスはあまりに僕を愛しすぎて、普通は五、六歳ともなれば家を出て寄宿舎つきの学校に放り込まれるはずが「ぼっちゃまはお体が弱いので」という理由で屋敷に留めた。せいぜい季節の変わり目に風邪を引きやすいとか、すぐに腹を壊すとか、子供だったら当然だというくらいのものだったのに。
 そのうえある程度の年齢になれば当然宛がわれるはずの家庭教師すら拒んで、ジャニスは死ぬまでこの屋敷に、僕の子供部屋にべったりと張りついていた。
 おかげで僕は恋人なんて勿論、友人さえもできず、部屋でひたすら本を読むばかりのひ弱な子供として育った。
 思春期の終わりと共に、父は馬車の事故で、母は浮気相手の嫉妬による凶行により、相次いでこの世を去った。
 すでに十八歳の成人を迎えていた僕は正式に相続人として認められ伯爵となったものの、書物の知識はあるが一般常識はなく、貴族の跡継ぎとしての振る舞いも人脈も王都での居場所もついぞ手に入れられぬまま、ジャニスすら病で失うことになる。
 おまけに周囲の貴族たちに上手いこと言いくるめられ、隙を突かれて、ウェリンシア家の土地や財産のほとんどを掠め取られた。
 多くを喪いひとりぼっちになった僕は黒魔術に耽り、やがて『魔王』と呼ばれるに到って、あの残虐王――アルシーザに殺されるのだ。
「うぅ……」
 その名が頭に浮かんだ途端、僕は呻きつつ、鳥肌の立つ自分の腕をさすった。
 あの男の姿を、顔を、声を思い出すだけで冷や汗が出てくる。
 殺された時の恐怖がぶり返してきて、吐き気すら湧いてくる。
 ――こんな子供の姿に戻ったのは、あの時、あまりに強く『死にたくない』と願ったせいだろうか。
 無意識に、何らかの魔術が働いたのかもしれない。
 そしてそれは何という僥倖だったのだろう。
「今度こそ、殺されてやるもんか……っ」
 僕は二度と、絶対に、絶対に、あんな恐ろしい目に遭いたくない。
 避ける方法はたったひとつ。
 何としても、魔王と呼ばれるような人生を歩んではならないのだ。
「絶対、二度と、黒魔術には手を出さないぞ……ちゃんと学校に通って、まともな貴族として、生き抜いてやるんだ……!」
 僕はそう、固く決意した。

 しかしジャニスをどう説き伏せようとしても無駄だった。「病弱な坊ちゃまが学校なんてとんでもない!」と余計に僕を子供部屋に閉じ込めようとするのに辟易して、僕は作戦を変え、父親に手紙を出した。
 ジャニスが大袈裟に騒いでいるだけであなたの息子は充分健康体であり、甘やかすナニーよりも優秀な家庭教師が欲しい。十三歳になったら家を出て学校に通いたいので手続きをよろしく、ということを、あえて子供らしからぬ文面で綴った。
 父から直接返事はなかったものの、そう時を待たずに、男性の家庭教師(チューター)が我が家を訪れた。
「なっ、……こんな、勝手な……! わたくしは聞いておりません!」
 ずかずかと子供部屋に入り込み、今すぐ学習室へ来るよう僕に継げた若い男に対して、ジャニスは顔を真っ赤にしてキレたが、僕は快哉を叫びたいのを必死に堪えた。
 父はナニーを必要としている他家への招待状も準備してくれていた。僕のためにというより、不要な人材を雇っておく金が勿体ないという吝嗇な根性からだろう。
 真っ赤になった顔を紙のように真っ白にしてへたり込んだジャニスに、多少同情というか罪悪感のようなものを覚えたが、これも僕が無事生き延びるための作戦だ。許してくれ、おまえだって愛する僕が国王手ずから叩き切られて殺されるなんて未来、やってきてほしくはないだろう?
「わたくしは……わたくしは、口惜しゅうございます……!」
 チューターとの授業の一日目、とりあえず自己紹介やら現状の学力を調べるための試験やらがすんだあと、子供部屋に戻ってきたら、ジャニスはまだ床で座り呆けていた。僕の顔を見るとスカートの裾を引き絞って泣き出したが、僕は慰めることもなく、自分で部屋着へと着換えた。
「大丈夫だよ、僕はほら、こうして一人で着換えることもできるんだから」
 無邪気な、ジャニスの慟哭になど微塵も気付いていない、天使の顔で笑う。
「今までありがとう、ジャニス。僕はもう子守唄が必要な歳でもないし、読み聞かせも必要ない。夜は怖くないんだ」
 ジャニスは夜になると子供部屋どころか、僕の寝台にまで入り込んで来た。今考えれば異常すぎるほど異常だったのだ、十歳にもなった子供を抱き締めて眠るナニーなんて。しかもそれが、彼女が死ぬまで続いただなんて――。
「でもぼっちゃま、あなたお一人では……!」
「先生の話だと、明日にもちゃんとしたガヴァネスが来てマナーを教えてくれるらしいよ、僕は全然礼儀がなってないようだから、しっかり学ばないとね」
 社交界に僕を出す気がなかったジャニスは、マナーなんて欠片も教えてくれなかった。僕は毎日好きなものを好きなだけ、好きな時間に食べたし、カトラリーの使い方もおかしかった。おかげで両親が死んだあと、王宮や他家の夜会に招かれるたびに笑われ、恥を掻かされた。
 父が亡くなって伯爵の地位と財産を継いだ後は、ウェリンシア家をどうにかしなくてはと、少しは真剣に考えていたのだけれど。
 際限なく与えられた肉や甘いもののせいでその頃からすでに肥え太りはじめ、ろくに外に出たこともなかったせいで真っ白だった肌に合わせて『白豚伯爵』などと陰口を叩かれて傷つき、早々に社交界に出ることをやめてしまったのだ。
 ここでジャニスを遠ざけなければ、同じことの繰り返しだ。今の僕だって結局、まともな礼儀作法なんて知らないままなのだから。
 僕が態度を翻さないのを見て、ジャニスは諦めたように立ち上がった。やれやれ、やっといなくなってくれるらしい。
「さよなら、ジャニス」
 笑顔で言った僕を、ジャニスの恨みがましい眼差しが捉えた。
「あなたはこの先決して一人でゆっくり眠ることなんてできやしませんからね、ぼっちゃま」
「だから僕はもう、そんな子供じゃないし……」
「わたくしがっ、ぼっちゃまのためにどれだけ……ッ、守ってさしあげたのに! わたしが守ってたからそこまで大きくなれたのに、恩知らず! あんたなんて、あんたなんて――アイツらに喰い物にされりゃいいんだ!」
 今までのお上品な態度などかなぐり捨てる必死さで、ジャニスが金切り声を上げた。
 さすがにビビって怯んでいるうちに、ジャニスが子供部屋を出て行った。
「こ……こわぁ……」
 淑女にあるまじき荒々しさで閉ざされたドアを見ながら、僕は自分の身を抱いて震え上がった。アイツら? 何のことだ?
 と、とにかくこれで、当面の目的は達したんだから、問題ない。
 僕を駄目にしたジャニスを排除して、これからは普通の貴族の子息として生きていく。
 決して白豚伯爵とか魔王だなんて言われることのない人生を送るのだ。
 気合いを入れて、僕は一人両手の拳を強く握った。

 

 だがジャニスが最後に吐き捨てた言葉の意味を、しばらくして、僕は思い知る羽目に陥った。
 たしかに僕は、一人でゆっくり眠れる夜なんて、そう簡単に迎えさせてもらえなかったのだ。
(クソッ、また来やがった……!)
 真夜中、寝台の上で毛布を被って涙目で呻くばかりだ。
「来るな、来るな、来るな……」
 息を詰め、両手を組み合わせて小声で呟く。祈りは虚しく、足の裏にぬるりと冷たい感触を覚えて、僕は蹲った姿勢のまま飛び上がった。
「ひっ……」
 足の指の間を、冷たい何かが這いずるように進んで行く。慌てて足をばたつかせながら起き上がると、体から毛布が剥がれ落ち、自分の足に絡みついているモノ――暗闇に透けた透明な精霊たちの姿が目に入る。
「来るな、って言ってんだろ!」
 涙声を張り上げる僕を見て、精霊はニヤニヤと愉悦の表情を浮かべて、長い舌を脛に這わせてくる。自在に伸びる指は僕の足の指に絡めたまま。
 ジャニスが去っていってから最初の夜に早速こいつらは僕の寝台を訪れ、そして僕は思い出した。
 あれは八歳の誕生日だったか、普通の良家の子息なら盛大なパーティが催されるところだが、何しろ人前に出ないようにしていたから、僕とジャニスとせいぜい数人のメイドだけでピクニックに出かけ、そこで初めて精霊を見たのだ。
 精霊っていうのは土地に生まれ棲み着く古い存在で、魔獣や死霊とは違い、基本的には人間と隔たれた場所で暮らしている。だからわざわざ人前に姿を現すのは、ほとんどがタチの悪い奴らだ。
 男だか女だかもわからない、ただゾッとするくらい綺麗な顔をした、だが全身がうっすらと透けている精霊を見て、それまでご機嫌にスコーンを頬張っていた八歳の僕は怖ろしさに泣き叫んだ。
『大丈夫です、坊ちゃま。あんなやつは、このジャニスが追い払ってやりますからね』
 確かジャニスはそう言って、実際僕に襲いかかる精霊を撃退してくれた。ジャニスにしがみついて泣き喚いていた僕は彼女が何をしたのかわからなかったのだが、今思えば何らかの魔術を使ったに違いない。彼女は母方の遠縁で、僕の魔力も、恐らく母からの遺伝なのだろう。精霊の姿をはっきり見られるのは魔力の強い人間だけで、メイドたちは泣き喚く僕にポカンとしていたのに、ジャニスははっきりと『あんなやつ』って言っていたし。
「んンッ」
 などと悠長に思い出している場合ではない。足の指の間を細い触手のように変形した指で執拗に刺激され、僕は堪えきれずに甘い声を漏らしてしまった。
 性交で子供を増やすわけでもないくせに、いや、だからこそ、こいつらは快楽のためだけに情事に耽る傾向がある。人としての倫理観があるわけでは勿論ないので、相手が僕のようないたいけな子供であろうとお構いなしだ。八歳の時も、ジャニスが退けてくれなかったら、僕は好色な精霊の餌食になっていたに違いない。
「だ……め、そこ、嫌だって……!」
 触手がさらに這い上がり、ふくらはぎから内腿を撫で上げてくる。無数の細くてぬるぬるしたものに肌を撫でられ、鳥肌が止まらない。
 まずいまずいまずい。僕の体は最悪に快楽に弱いんだ。酒色に耽り薬に溺れた前世の記憶が甦ってゾッとした。特に足や手の指とか、腿の内側とか、首筋とか腰のくびれの辺りとか、その辺を刺激されると簡単に力が抜けてしまう。
 そして精霊は的確にそこを攻めてくる。涙の滲んだ目を凝らすと、部屋に入り込んだ精霊は三体。どれもやはり性別不明、でもどれも揃ってあまりに美しい顔をしている。その両手が生き物のように伸びて僕の体を拘束するグロテスク。三つの淫欲に満ちた微笑みに無言で見下ろされ――精霊は言葉を持たないし、こっちの言うことも通じない――なのに恐怖と嫌悪より、期待に震える自分の体に僕は絶望した。
「……ぁ……、ん……」
 誰かの触手が唇を撫で回してから、中に入り込んでくる。僕ときたら口の中まで性感帯だ、たまったもんじゃない。下顎を優しく擦られ、舌を扱かれ、歯列をなぞられて、頭がぼうっとしてきてしまう。
 口中を犯される快楽に気を取られている間に、寝間着と下着を剥ぎ取られていく。寝台の感触が背にない。どうやら三人分の触手が腕や脚に絡みついて体を浮かされているらしい。弱い腰骨を撫で回され、背中に冷たい触手の先を這わされたかと思うと、今度は胸の方にまで到達する。
「んっ、あ」
 膨らんでもいない胸の先っぽを柔らかく、けど執拗に刺激され、また声を堪えきれない。ここが気持ちいいことは前世の記憶で知っている。つんつんと指先でつつかれ、捏ねられるたびに先っぽが固くなっていくのがわかる。駄目だ、そんな、つまんだりしたら――。
 胸をいじられているだけなのに、内腿が小刻みに震えてしまう。快楽はまだあわく不確かで、もっと、と恥知らずにねだりそうになる言葉を死に物狂いで我慢した。どうせ言ったところで相手には伝わらないだろうけど、逆に、言葉にしなくても僕の態度で精霊たちには僕がもどかしい思いをしていると察してしまったらしい。
「ぃ……ッ」
 ぎゅっと、小さな乳首をきつく締めつけられ、悲鳴と嬌声の間みたいなみっともない声が出る。じわっと涙が浮かぶ。痛い。痛くて気持ちいい。最低だ。情けなくて啜り上げていると、今度は宥めるような動きで乳首を撫でられるからさらに最悪だった。
「ああ……、ぁん……」
 駄目だもう完全に頭が溶けてる。酒に溺れた時みたいに何も考えられなくなってくる。死ぬ間際当たりは肉欲に耽りまくったせいでもはやささやかな刺激くらいじゃ足りず、薬と悪い魔法に溺れてようやく生贄の女たちの手淫や口淫に反応できたくらいだったのに。
 今の僕はもう、ちょっとした摩擦とか衝撃だけで、ぞくぞくと全身を震わせてしまう。浮いた腰を自分から突き出して、物欲しそうに揺らしてしまう。
 そしてとうとう、精霊の指は僕の下肢の中心――すでに痛いくらい張り詰めて上を向いている性器を弄びだした。さわさわと指の腹をいくつも使ってくすぐるように撫でる動きが、またもどかしくて辛い。
「だめ……だめぇ……」
 何が駄目なんだかもう自分でもわからない。舌足らずで恥知らずな自分の声に、精霊どもがますますいやらしい顔つきになるのがわかって悔しい。このままこんな人ではないやつらに辱められ続けるのなんて嫌なのに。嫌な、はずなのに。
 わずかに残った理性を掻き集め、どうにか精霊避けの呪文を思い出そうとするが、クソッ、頭がまともに働かない。無駄に喘ぐ唇にまた精霊の触手が入り込み、舌を引っ張られてますます無様な声が出た。
「うぁ、うう……あ……ッ」
 焦らすような精霊の指が次第に粘着質な動きに変わる。根元から何度も擦り上げられ、ああ、また勝手に腰が揺れてしまう。ぐちゅ、ぐちゅ、と濡れた音がするのは僕のせいじゃない。精通を迎えていない僕の性器は何の体液を吐き出しようもなく、代わりのように精霊の指先から出る樹液のような、甘い香りのするぬるぬるした液体が僕の体を濡らしている。
 いつの間にか胸を弄る指からもその液体が排出され、僕の乳首を音を立ててつついたり、形が変わるほど引っ張っては指を離したりと、やりたい放題だ。
 口の中にもその甘い匂いが広がり、僕はさらに酩酊した。前世で使った薬の比じゃない強烈な効用。視界が霞んでまともに周囲が見えない。自分がどんな声を漏らしているのかももうわからない。まるでモノになったみたいに体の自由がきかず、精霊たちに好き勝手にいたぶられ、ただ涙を両眼から、甘い体液の混じった唾液を唇の端から漏らし続けるだけ。
 ああ、もう――気持ちいい……。
 いっそこの快楽に抗おうなんて一欠片も思わず、身を投げ出してしまえば。
 その誘惑に駆られた時、尻の狭間に冷たい液体をまとった指の感触がして、反射的に体が震えた。
「ひぁッ」
 排泄のための窄まり。女も、男でもそこを使う(ヽヽ)とイイっていうやつがいるのは知ってるけど、前世で肉欲に耽っていた僕だってそこを性器代わりに使おうなんて考えたことはなかったのに。
「んんんっ、んぅ」
 得体の知れない恐怖に身を竦ませながら首を振る。一瞬、精霊たちが「なんで?」みたいな顔で揃ってこっちを見たけど、「なんで?」じゃない。そんなとこ、そんなとこ、絶対触られたくない。
 触られたくないのに。
「……――ッ」
 宥めるように、濡れた指先が窄まりの周囲を撫でる。なんで? 今度はこっちがなんでだ、なんでそんな動きに快さを感じるのか、自分が信じられない。
「やだぁ……やだ、だめ……お願い……」
 言葉なんか通じないんだから言っても無駄だと、むしろ相手の劣情を刺激するだけでしかないともうわかっているのに、懇願が止まらない。
「触るなよ、触らないで……だめっ、中はだめッ!」
 厳しい声で、拒んだつもりだったのに。
 ぬるりと、精霊の濡れた指が体の中に潜り込んできて、僕は息を飲んだ。
 内壁を、擦るように。
 体液をなすりつけるように、細い指――触手が中で動いている。
 痛みを感じるほどの質量はない。細い細い、植物の茎みたいなものがいくつもいくつも、僕の中を触っている。
「うぁ……あ……ぁう……」
 これが快楽と呼べるのかもわからない、未知の感覚に狼狽しながら、それでも僕の喉から絞り出すように漏れる声はあきらかに甘ったるく濡れていた。
 中を弄られると同時に、性器を扱かれ、胸の先を捏ねられ、もうどこが痛くてどこが気持ちいいのかもわからない。
 めり、と変な感触がした。おそるおそる涙で濡れた目を向けると、張り詰めた僕の陰茎の先に、細くなった精霊の指が入り込もうとしていて、悲鳴を上げそうになった。
「やだっ、やめろ、やめろやめろ、だめ! だめだってば――あぁ……ッ」
 止めても無駄だった。冷たい粘液みたいな液体でたっぷり濡らされた精霊の触手が僕の、僕のおちんちんの先っぽに入り込んで、そのうえ二体の精霊が指だけじゃ足りなくなったのか両側から胸に吸い付いて、じゅうじゅうと強く乳首を吸い上げて――。
「……ッあ、ああ……あぁ……」
 性器の先っぽからも、お尻の穴からも、聞くに堪えないぐちゅぐちゅって音が響いて、それがどんどん激しさを増して、何かもう、本当に、何も考えられない。
 言葉にならない声を漏らし続けながら呆然と上を見ると、満足げな、最高にいやらして美しい精霊の顔が僕を見下ろして入る。
 せめての抵抗のつもりでぎゅっと目を瞑り、僕は、体のあちこちを精霊の触手で犯されながら、精液を吐き出すこともできずに絶頂した。

 前世よりもはるかに耐性のない未熟な体が精霊の悪戯に染まるのはあっという間だった。
 情けない。本当に情けないけど、僕は夜ごと彼らが――前と同じ三人の時もあったし、一人の時もあったし、別の個体の時もあった――訪れるのを受け入れ、何なら、心待ちにすらしていた。
 が、それも長くは続かなかった。精霊との交わりは、人間から精気を奪う。
 僕がまだ子供とはいえ強力な魔力を持っていたからよかったものの、普通の人間なら、多分一回目に襲われた時に衰弱して死んでいただろう。
 僕も精霊が好き勝手していったあとは疲弊して、段々起き上がるのも辛くなってきた。
 これは、まずい。非常に、まずい。
 快楽に流されている場合じゃない。五度目に精霊に好き勝手されたあと、僕はようやく正気に返った。次の夜が来る前に、何としてもあいつらを退ける術を確立しなくては。
 しかし、くそっ、精霊避けの呪文がうまく思い出せない。前世では、人間だろうが化け物だろうが誰も近づけないような魔術を使って屋敷全体をあらゆる外敵から守る障壁で覆い、それを維持することすら何でもなかったのに。そっちの呪文はまだ覚えてるけど、今の魔力ではとても使いこなせない。
「ジャニスのまじないの方法がわかればいいんだけどな……」
 彼女はおそらく、精霊を遠ざけてため、魔術とも呼べないまじないをこの部屋で使っていたのだ。彼女が去った後にメイドたちが子供部屋を掃除した時、用途のわからない匂いの強い草や棘のある花や頭をもがれた虫がぞろぞろ出て来たし。
 朝になってから、それを真似て精霊避けを試みても、効果はなかった。多分僕とは流儀が違うのだろう。
 だからって、彼女を呼び戻す気にはならない。どうせ精霊に駄目にされるか、ジャニスに駄目にされるかの違いしかないだろうし。
 記憶をひっくり返して精霊避けの呪文を少しずつ思い出すのと同時に、前世の僕がいかにして道を踏み外していったのかも思い出した。
 そうだ、そもそもは、ジャニスのまじないをかいくぐって子供部屋に現れる精霊、外に出かけるたびにちょっかいを出してくる精霊から逃れるために、魔術に頼るようになったせいだ。
 神から預かった神聖力を使う聖職者と違って、魔力を使う魔術師っていうのは卑賤な職業とされていたから、ジャニスや周囲の人間にバレないよう、こっそり研究しはじめた。
 多分ジャニスも、自分がそういう魔術を使えることが周囲に知られれば、疎まれてウェリンシア家を追い出されると思って、隠していたんだろうな。
 とにかく独学ながら、より強い力と術を求めるうちに辿り着いたのが、禁忌とされる黒魔術だったわけだ。
 魔術の先、もしくは底にあるのが黒魔術だ。黒魔術に手を染めたくないなら、そもそも魔術自体を避けた方がいい……のは、わかっているのだが。
 自分の心身の具合から考えて、もう一晩でも精霊に快楽付けにされたら、おしまいだ。残虐王に殺される前に過淫で死んでしまう。別にアルシーザに殺されなければいいって話じゃない、僕はできるだけ平和に平穏に生きて、寿命で死にたいのだ。
 僕は諦めて、記憶の片隅に残っていた呪文をどうにか全部思い出すと、子供部屋の窓と扉に決して精霊が立ち入れない魔術をかけた。
 これでひと安心、か?

 

 だがそううまくはいかなかった。
 連夜精霊に弄ばれて弱った体ではあまりしっかり魔術が使えず、ときどきまた精霊の侵入を許しては、新たに術をかけ直す必要が出てくるし。
 精霊以外にも、ジャニスがいた頃には起きなかった問題に次々襲われ――念願の学校に通えるようになるまでの間、僕はこの屋敷で様々な苦難と立ち向かう羽目になったのだった。


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