買ったまんが備忘録「絢爛たるグランドセーヌ(1)~(16)」

9月20日に買っってから毎日周回していて今日で四周目です…。
前々から気になっていて欲しいものリストに入れてて、どれかのアプリで試し読みがきたので冒頭二話くらい読んだらもう辛抱溜まらんので全巻買った。
もうね! すばらしいですね! 読んでてこれほどあらゆる面で心地いい漫画も近年稀に見る感じで多分これが今年新規で読んだ私ベストな気がする…。

小学生の奏がお隣の梨沙ちゃんに憧れてバレエを始めて、梨沙ちゃんは怪我でダンサーの道を諦めてしまったけれど、周囲の仲間たちと切磋琢磨しながら成長していって、やがてプロの道を選ぶようになる…みたいな、王道バレエ漫画! という感じなんですが。
いうて私はバレエ漫画といえばテレプシコーラしか読んだことがなかったので…、


いつ奏が怪我をするか、さくらが精神を病んで自殺するか、アダルトチルドレンが出てくるか、怯えていました…何で気になっていたのに買わなかったのかといえばそういう理由です…。

しかし全然そんなことなかった。
ちょいちょい、アスリート(アーティストと言うべきなのか?)としては当然のようにあるオーバーワークや不慮の事故での故障は出てくるんだけど、今のところはダンサー生命に響くようなこともなく、おとなしく休んでいれば治る程度で、そしてみんなちゃんと休んでいて偉い。
スポーツ漫画は必ずオーバーワークが祟って競技を諦めるキャラクターが出てきて辛いんですが、絢爛たるグランドセーヌでも最初に梨沙ちゃが諦めてしまっているんだけど、セカンドキャリアとして衣装製作の道に進んでいるのでとても救われる…。

指導者が正しく子供たちのことを想い、子供たちも大人を心から信頼しているところが、本当に読んでていて気持ちよく嬉しいのだ…。
自分が現役の運動選手だった頃にはこんな世界絶対信じられなかったけど、近年のいろんな競技を見ていると、「こういう人たちもいる、というかこうでなければ世界で戦えない」というのがわかっているので、ものすごく純粋な気持ちで登場人物すべてを推せて快いわけです。

主人公の奏が特に大好きで。
さくらも、翔子ちゃんも、絵麻ちゃんも、アンドレアやミリアムも、一人一人がもう一本の作品の主役を張れるようなキャラクターなんだけど、やっぱり奏がものすごい。
みんなが奏が好きで、単純に「いい子だから」とか「バレエの才能があるから」「前向きだから」「コミュ力の鬼だから」という理由もあるんだろうけど、何というか、それぞれがものすごく奏に自分の理想を見ている気がするんですよね。
みんなが足りないもの、欲しいもの、めざしたいところを奏の中に見出して、自分の支えにしている。……というあたりが! とても! 好きで!
勿論嫉妬や悔しさがないはずがないんだけど、貶めることは絶対になくて、翔子ちゃんが言っていたように「高いところで競い合えるためのモチベーション」になっているところがたまらない。

あともう、私の好みを知っている人にはバレバレでしかないと思いますが、さくらが最高でね…さくらと奏が一緒にいるところとか、さくらが奏を思い出しているところだけで一週間お米だけで生きられます…。
さくらが登場した時、すごく好みの子だけど、このタイプは孤立して怪我をして堕ちていくパターンが多いんだよなあ、とちょっと重い気持ちになりもした。
ので、謝らなければいけないすみませんでしたさくら…さくらは本当に強い子で素敵です。さくらはお姫さまではなく武者なのだ…好き…。

それぞれの子たちが奏に影響を受けるところが好きだし、奏がみんなやもっと上にいるダンサーに憧れて貪欲にいろんなものを吸収していくところが好きだし、絵麻ちゃんと翔子ちゃん、絵麻ちゃんとさくらも与え合う影響がすばらしすぎて、あのう、こんなことを書くのはどうかなとは思うんですが知らない人が居たら勿体ないので書くけど百合好きは読まずに死ぬべきではない…。いや多分とても売れているようだしその界隈でも話題になっているとは思うんですが。もう読むたびにぎゅんぎゅん来て最高です。

好きと最高しか言えない。それしかない。

人間関係も最高なんですが、何よりバレエのシーンがもう。ここまでワクワクするダンスシーンはそうそうない。
特に奏が踊るディアナは「絶対生で観たい…!」としか思えない。何で観られないんだ。何でこれ漫画なんだ。
バレエ自体に興味はあったけど、取っかかりがなくていまいち踏み切れなかったので、漫画に出てきた演目はとりあえずちゃんと観たいなあ。
(と思っていたところにBSPで白鳥の湖をやっていたので嬉々として観たんですが、途中からの視聴だった上にマシュー・ボーンのやつだったので、とても困惑した…!
多分これは正統派のを観てから観た方がいいやつだった。すごくエロティックで素敵だったんですが。知ってる白鳥の湖と違ったのでオロオロしてしまった。

という変なタイミング…)

そろそろバレエも解禁になったりしてるのかな?
近場でやってそうなところをみつけたらチケット取りに行きたい…。

あ、今ちょうど期間限定で無料開放されているみたいなので、気になる方はぜひ。


知らずに16巻まで纏め読みしたが、16巻出たのってつい最近だから17巻までが長いよ~~~。

(こっからは作品とはあんまり関係ない雑記)

ところで絢爛たるグランドセーヌを観ていて、本当にしみじみ思ったのは、「物語において足を引っ張るキャラクターは必要ないのでは?」ということでした。
シン・ゴジラでもちょっと言われてた気がするけど、全員有能で全員自分の仕事をきちんとして、ドラマ作りのための障害が一切ないんですよね。
それがとても気持ちよいことだとはっきり気づいたのは、私の場合はスター・トレックだったんだけど。


昔は足を引っ張るライバルがいて、夢を阻む家族がいて、主人公がどん底に堕ちて、困難を乗り越えるところにカタルシスを覚える…というのが常套手段だった気がします。
今ガラスの仮面も読み返していて、これはもう顕著ですよね。

ずば抜けた才能のある北島マヤ、しかし母親は娘が演劇をやることに大反対、ことあるごとに「あんな子が主役なんて生意気」と大道具をぶっ壊したり、他のキャストを足止めして上演を阻もうとしたり、泥饅頭を食べさせようとしたり、お酒を飲ませて不良といるところをスクープさせたり。
そのたびマヤは本当にどん底まで転がり落ちて、でも絶対に演劇への情熱をかき立てられて、今まで以上に成長する。
そのドラマツルギーが私は全然嫌いじゃなくて、むしろガラスの仮面も物心ついた頃から一体何十回周回しているんだというレベルで繰り返し読み続けているし、筋書きは当然知っているし台詞もコマ割りも丸暗記しているレベルなのに先が読みたくて読みたくて震えるくらいなんですが。
というか何の困難もないガラスの仮面などもはやガラスの仮面ではないわけですが。
それはそれとして、たとえば「マヤと亜弓さんの関係性だけを主軸に置いたドラマ」もいいなあ、と考えたりもする。いや単に私がマヤのことを大好きな亜弓さんが好きすぎてもっとそういったシーンを摂取していたいと思っているだけかもしらんが…亜弓さんがことあるごとに、マヤを貶す周りの人たちに辛辣な意見を述べたり、挙句には吸血鬼カーミラで乙部のりえをボコボコにしたりするところは重点的に何百回読み返したかしれん…。

話が逸れたな。
とにかく今、本当に、物語の作り方が変わってきているんだなあとまた強く実感しました。
シン・ゴジラの時に、足を引っ張る奴がいるのに耐えられないなんて幼い、忍耐力が足りない、浅い、みたいな意見を言っている人も結構見かけたんだけど、ちょっと違うんじゃないかなあと私個人では思っている。毎日のウサギ跳びや百本ノックでは上達しないとみんな気づいたんだよ。子供にとって必要なのは逆境じゃなくて大人の正しいバックアップだし、メントレは必要だし、失敗を怒鳴って叱るよりもできたことを褒めた方が萎縮せずに失敗が減るってわかってきたから、「いや、理不尽すぎる逆境って単純に読者にとってもストレスなんじゃない……?」という流れになったんじゃないかなあと。「正解はCMのあとで!」で視聴者を惹きつけられる時代は終わったんだなあと。
それが「浅い」とか「幼い」と見るのはちょっとヤバイ気はする。
障害が全然必要じゃないとは思わないし、あまりにトントン拍子に天才が天才として世界に君臨する物語というだけではさすがに飽きてしまうし魅力もないだろうけど、テンプレートな障害以外のところでのドラマの魅せ方が巧みな作品が増えてきて、その心地よさを追いかけたくなっていく。
行き届いた作品、という言い方をしてしまうと、ポリコレやコンプラやジェンダーや人種などへの配慮と混ぜられそうで怖くもあるんだけど。でもまあ最近の世の風潮の影響もあるんだろうな。
それがいいのか悪いのかはわからん。劣等感や虐待に近い環境を作品に織り交ぜてきた作者の私としてはしんどいなと思っている、けど、読者としてはとても楽しいので、悩ましくはある…。
けどまあ、「絢爛たるグランドセーヌ」がこんなにも楽しいっていうあたりで、ある程度の答えは出てるんだろうなあ。

みたいなことをぐるぐる考えたりもしました、何にせよ17巻が楽しみすぎて辛い。