秘密

 学習机に向かって課題のテキストを開いていると、背後でドアの開く音がした。
「おかえり」
 振り返って見ると、部屋に入ってくる同室者の姿。
 声をかけた真実に、同室者はにこりと笑みを見せて、静かにドアを閉めた。
「また勉強してんだ?」
「ほかにすることがないからさ」
 自分のベッドへ向かう通りすがり、嘉彦がひょいと真実の机を覗き込んで、真実はそれに肩を竦めてみせる。「つまんねーの」と嘉彦も、肩を竦めてみせた。どちらかと言えば、嘉彦の方がさまになっている。
「ま、こんな山奥じゃな。せっかくの日曜ったって、勉強するか、寝るか、ヤるかしかないだろうけど」
 言いながら、嘉彦が荷物をベッドに投げ出し、自分もどさりと身を投げ出すように座る。これには真実は応えなかった。
 返事がないのをさして気にした様子もなく、嘉彦は自分のものでも真実のものでもない、三番目のベッドへと視線を投げた。
「センセーはまたおこもりか」
「ん、朝からずっと。シャワー、使いたいんだけどなあ……」
 嘉彦の問いに釣られるように、真実はシャワールームの方へと目を向ける。
 朝から、もうひとりの同室者がそこに籠もって出てこない。ユニットバスではないからトイレは使えるが、ゆうべ風呂に入りはぐってしまったから、早く湯を浴びたかった。
「っとに困るよな、ケッペキショーってやつにも」
 大儀そうに立ち上がって、嘉彦がふらりとシャワールームの扉の前へと向かった。前置きもなく、いきなりスリッパを履いた足でその扉を蹴りつける。
「センセー! 相沢センパイが風呂使いたいってよ、さっさと出てこいよ!」
「鴫野、いいって。そんなものすごく使いたいわけじゃないし」
 唐突な嘉彦の行動に慌て、真実は椅子から立ち上がる。
 嘉彦は真実の声を無視してしばらく扉を蹴り続けたが、中からの反応がないのに諦めたか、またふらりとベッドの方に戻った。
 軽く息を吐いて、真実も椅子へと座り直す。
「鴫野って……本当、顔と行動が合ってないよな」
 思わず、そんな呟きが口をついて出た。
 鴫野嘉彦と相沢真実がこの私立高校の寮で同じ部屋になったのは、今年の夏休みに入る少し前のことだった。真実が三年生、嘉彦が一年生。真実は去年の秋から寮に入っている。嘉彦が来たのが夏休み前。一緒に生活を始めてから、ほんの数ヵ月だ。
 真実は嘉彦のことを、名前以外に大して知らない。嘉彦の方も同じだろう。
 嘉彦について、目に見えてわかることと言えば、彼が大層な美少年ということだ。
 怖ろしく顔だちが整っている。真実は同じ年頃の少年で、嘉彦以上に綺麗な顔立ちをした人間を知らない。きめ細やかな白い肌に細い肢体。艶やかで柔らかそうな髪。濡れたように真っ黒な瞳。黙って本でも読んでいれば古典文学さながら、サナトリウムで療養するはかなげな少年にでも見えただろうが、いかんせん彼は口が悪かった。行動も乱雑だ。仮にも先輩である真実に対する態度もぞんざいだったが、それは相手が真実に限った場合だけではなく、上級生だろうが教師だろうがお構いない。
「言葉や態度で取り繕う必要がないんだ。気を遣うだけ馬鹿らしいだろ」
 どうでもよいことのように、嘉彦は言う。自分の容姿のよさはもちろん認識しているようだったが、だから何? というスタンスらしい。
 それが嫌味にも下品にも見えないのは、そのみてくれと生まれつき持ち合わせた雰囲気のおかげだと真実は思う。どこか尊大にも見える態度が自然で、おそらくかなり裕福な家庭で育った子供なのではとも推察できたが、真実がそれについて詳しく聞くことはやはりなかった。
 それがこの寮のルールなようなものにもなっていた。
 この寮――ここは、『閉じこめる場所』だと真実は認識している。
 立地は山の奥深く。降りれば街があるが、それも大した規模ではなく、夜になれば全体の明かりが消える。歓楽街すらないさびれた場所。街から寮に向かうにはバスで数十分と、さらに徒歩で数分が必要だった。街へ降りるバスは日に何度も来ない。学校自体は寮と街の中間地点にあって、その本数も多くはなかった。
 寮監は数人いて、厳しい。特に脱走には容赦がなかった。まだ幸いにして真実は入ったことがなかったが、寮の中には『反省室』と呼ばれる部屋があり、問題を起こした寮生はここに入れられる。
 反省室では、必要最低限の栄養があるばかりで、味も素っ気も充分な量もない食事が、さらに減らされるらしい。反省室生活の大半、正座で過ごすことを課せられ、居眠りでもしようものなら寮監に暴力的なやり方で起こされる。
 体罰ではなく『指導』だという名目らしい。つき合う方もご苦労様だ、と真実は思う。
 運がよければ一晩で、脱走が発覚すれば最低でも三日。反省室から出てきた生徒は皆一様にげっそりとやつれ、暗い目になっている。
 ただ、反省室の常連である嘉彦は、たとえ一週間その部屋に閉じこめられていても、戻ってきた時にはけろりとした顔だった。多少疲れてやつれた面差しにはなっているが。
 大体、嘉彦のいる反省室の中で何が行われているのかは、真実にも想像がついた。学校も寮も男子生徒しかいない。寮監も男ばかりだ。その中に、嘉彦の存在。
 もし嘉彦が何かしらの苦痛や不都合を訴えるのなら、真実もさすがに無視はしていられないと思っていたが、当の嘉彦自身はいつでも変わらない悠然とした態度を貫いている。
「そーだ、これもらってきたんだけど。相沢センパイ、喰う?」
 ふと思いだしたように、嘉彦がベッドに置いた荷物を漁ってチョコレートの包みを取り出した。それを見て、真実は感心とも、呆れともつかない心地になる。
「次から次へとよくもらってくるなあ。宅配日でもないのに」
 寮では、家族や知人から送られてくる手紙や荷物の受取日が決まっていた。今日はそのどちらでもない普通の休日だったのに、嘉彦は決して寮内では購買することのできないはずの食べ物や雑誌や洋服などを、よく部屋に持ち帰っていた。
 他の寮生にもらったか、あるいは寮監や交替で見回りにくる教師からもらったのか。
 嘉彦は真実に向けてにっこりと笑って見せ、チョコレートの箱そのものを放り投げてきた。
「いいの? まるごと」
「他にもたくさんもらってきたから」
 なるほど、嘉彦は鞄の中からつぎつぎジャンクフードの類を取り出していた。
 その時ちょうどバスルームから、三人目のルームメイトがようやく姿を見せた。びしょ濡れの髪に、その滴を受けて濡れた顔や体。着ているシャツも満足に水分を拭き切れていない体に直接つけたから、濡れている。
「池内センパイも喰う? チョコかクッキーかポテトチップか」
「……」
 嘉彦の言葉に池内は応えず、何も見えていないうつろな目で自分の机まで辿り着くと椅子に座り、おもむろに英語のテキストを広げるてぶつぶつ英文を読み始めた。
 そんな反応に慣れっこだったので、嘉彦も、それから真実も彼に対して何も言わない。
 池内晴彦は二年生だ。寮は基本的に三人部屋。学年は考慮されず、空いたベッドからつぎつぎ人が入る。この場にいる全員、最初から今の学校や寮にいるわけではない。三人の中では一番池内が早く寮に住み着いた。
『問題のある子供を』
 この寮に来ることになった時、母親が言った言葉を真実は思いだした。
『矯正するために閉じこめる場所だから』
「……」
『二度と裕司やあたしたちの前に現れずに』
 泣き叫んでいた母親の顔を、醜い、と嫌悪した自分こそを、真実はひどい人間だと思う。
『また裕司に近づくようなことがあれば』
 罪悪感があるのも、すまないと思うのも心からのことなのに。
『殺してやるから』
(……これ以外に方法はないんだから)
 苦いものを飲み込む心地でそう自分に言い聞かせ、床に落ちていた視線をふと上げてみると、部屋の中にはいつの間にか嘉彦の姿が消えていた。どこそこに行くから、と告げていく習慣は嘉彦にはないようだった。
 池内は机に向かったまま、相変わらずぶつぶつと英文らしきものを呟いている。自分の机からぼんやりと池内を眺め、真実は、何だか胸苦しい心地に捕らえられた。
 ――裕司も、ああしてずっと机に向かっていた。
 思い返して、真実の表情にはほんの少し笑みが浮かぶ。
 懐かしい、とはまだ思えない。離れてから一年近くが経つのに、真実の中で裕司の存在はまだリアルだった。
(きっと一生)
 些細な部分まで簡単に思い出せる。顔も姿も指先ひとつの動きさえも。
(……元気かな)
 懐かしいわけではないのに胸が締めつけられたように痛むのは、そこにたしかな思慕が深く残っているからだ。
(会いたい)
 いつも思う。祈るようにただ思う。
 決して叶わないことと知っているのに。
 こういうやり方を選んだのは真実自身だから。
「……やめやめ」
 ひとり小さく呟くと、真実は強く首を振り、立ち上がった。
 考え続けるとろくな気分にならない。
「池内。飲み物とか買ってくるけど、おまえもいる?」
 机から財布を取り出しつつ訊ねてみたが、真実に返る池内の言葉はなかった。それもやはりいつものことだったので、真実は気にせず部屋を出た。
 休日の寮の中は、ひっそりとしている。
 休日だけではなく、いつもこの建物は喧噪から遠い場所にあった。
 小さないざこざや決して表には出ない根深い諍いも多くあったが、それでも年頃の少年たちが詰め込まれた場所だと考えれば、とうてい信じられないくらいの静けさを保っている。
 寮や学校で騒ぎを起こせば懲罰が待っていて、月に一度許される町への外出もできなくなるのだ。
 廊下で顔見知りの生徒と擦れ違ったが、お互い目顔で挨拶らしきものを交わしただけで挨拶もしない。
 ――これまでの真実の生活からは、考えられないことだ。
 以前いた学校では、友達がたくさんいた。ただ顔見知りという以上に大切な存在もあった。彼らと顔を合わせて言葉のひとつも交わさない状況なんて真実には考えられなかった。
 いつまで経っても真実がこの場所に馴染めないのは、人に馴染めないせいがあるからだと自分でもわかっている。
 もともと真実は人見知りなんてしたことがなかったし、大勢の人に囲まれて楽しく過ごすのが好きな気質の持ち主だった。順応性に優れていたから、環境が変わっても人見知りして誰とも話せないなんてことは、ちっともなかったのに。
 ここは自分の居場所じゃない。それがわかっていても、帰るところなんて真実にはありはしなかったのだが。
「あ、相沢。出かけんのか?」
 自販機のある、寮監室の方へ廊下を行く途中、声をかけられて真実は足を留めた。ちょうど寮部屋のひとつから顔見知りの生徒が出てくるところだった。
「いや、自販に行くだけ。御倉は何やってんの?」
 相手の生徒、御倉を見ながら真実は複雑な心地になり、それでもそんなものはおくびにも出さずに笑って訊ねてみせた。
「ちょうど相沢んところ行くつもりだったんだよ。広下から、こないだ言ってた雑誌回ってきたからさ。一緒に見ようと思って」
「あ、そうなんだ」
「どうせ暇なんだろ、来いよ」
「んー、どうしよっかな」
 曖昧に、真実は笑った。
 知り合いと言葉も交わさない状況は辛い。
 だが、この環境ではその方がずっと幸せということもある。今声をかけてきたのがよりによって御倉だということに、真実は笑いながら、内心で溜息をついた。
 どちらかと言えば細身で骨張り、どんな相手とでも明るく笑って話せる真実とは対照的に、御倉はほぼ大人に近い体つきと、誰に対しても酷薄そうな眼差し向ける生徒だ。
 たとえ笑っていても、常に相手を見下しているような空気が取り巻いている。御倉がこの寮に入ったのは、以前の学校で傷害事件を起こしたためだと、本人の口から真実は聞いた。
 この寮でも、些細なことから相手にひどい怪我をさせるようなできごとが何度かあったが、怪我をさせられた方はさらなる被害を面倒がって、寮監に事実を告げることもない。
 寮では皆それとなく、御倉とは関わり合いにならないよう注意を払っていた。
 そんな相手がどうして自分のご機嫌を取ろうとつきまとうのか、やはり真実はこっそり溜息をつきたい気分になってしまう。
「何勿体ぶってんだよ、来いって」
 はっきりしない態度の真実に簡単に苛立って、御倉がその手首をきつく掴んだ。
 御倉がこんなふうに真実に誘いをかけるようになったのは、ほんの数週間前から。その頃、御倉の『ペット』としてひっそりと名前を知られていた同室の生徒が家庭の事情とやらで退寮した。
「でも、他の人の分も飲み物を買ってこなくちゃだし」
 言い訳を口にして笑ったまま、真実はさり気なく御倉の手を外すそうと試みた。
 だが体格がまるで違う相手の力にそうそう敵うはずがなく、結局さらに強い力で御倉に手を掴まれる羽目になった。
「飲みたきゃてめぇで買えって言ってやれよ」
 御倉が強引に真実の手を引き、自分の部屋へと誘い込もうとしている。
 御倉に最初声をかけられた時から、真実は彼の目的をはっきり察していて、そんな状況に陥らないようその場その場を逃れてきた。
 ゆっくり躱してきたつもりだったが、いつもにこにこと笑っているだけの真実が思いのほか強情で自分に従わないことに、御倉もそろそろ業を煮やしてきたらしい。
「……おまえ、この寮で無事に暮らしたくないのか?」
 真実の手を引いて自分の方へ引き寄せ、御倉は低い声で耳許に囁いた。型にはまった脅し文句だったが、型にはまっているからこそこの言葉に逆らえず、御倉の言うがままになっている生徒はきっと多いのだろう。
「相沢」
 黙ったまま真実が見遣ると、御倉は、獲物を捕らえることを確信した顔でうっすら笑っている。
(嫌だ)
 反射的に募る嫌悪と抵抗感。こんな目で、今はそばにいない彼以外の人間から間近で見られたくなかった。
 囁く声も触れる手も、望むのはたったひとりのものなのに、別の人間からそうされるのにどうしようもない違和感を覚える。
 だが。
(問題を起こすわけには、いかない)
 真実は自分の立場を誰よりもよく理解している。
 もしこの学校や、寮を追い出されてしまうようなことがあれば、真実が望み続けていた未来は絶望的に遠ざかってしまう。
(……だったらこれくらいのこと、我慢できる)
 今の真実には、限られた選択肢の中でただ選ぶことしかできない。どちらがよりマシか。軽く奥歯を噛み締め、真実は御倉の方へ一歩、近づこうと足を踏み出した。満足そうに笑みをひらめかせる御倉の表情を、見ないように目を逸らす。
「相沢センパイ? 何やってんの」
 その時、不意に聞き覚えのある声がして、真実は御倉の方へ向かいかけた足を留めた。
「あんたリネン室の掃除当番だろ。早く行かないと、川西センセーがまたヒス起こすぜ」
 廊下を歩いてきた嘉彦が、普段と変わらぬ調子で真実に声をかけ、それから御倉に目を移す。
「よぉ、御倉センパイ。久し振りな感じ?」
「……ああ。そうだな」
 あと少しというところを邪魔された御倉は、憮然とした顔になっている。だが、声をかけてきたのが「あの」鴫野嘉彦であることで、ひどく機嫌を損ねるようなこともない様子だ。嘉彦の挨拶に、ぶっきらぼうな返事をしている。
「また今度何か奢ってな。それじゃ」
 嘉彦は邪気のない笑顔であっさり御倉に言い置くと、そのまま彼と真実を追い越して廊下の向こうへと歩き出した。真実が思わず嘉彦と御倉を交互に見較べていると、嘉彦が足を留めて振り返る。
「行かないの?」
「あ……うん。じゃ、御倉、またな」
 真実の挨拶に御倉は答えず、部屋に引っ込むと乱暴にそのドアを閉めた。廊下中に響き渡る音に、嘉彦が「おっかねー」とちっとも怖くなさそうに笑って言い、首を竦める仕種をする。
 真実は少し走って、再び歩き出した嘉彦の隣に並んだ。
「リネン室の当番、今日は水原たちだったと思うんだけど」
「そうそう」
 ちらりと、その整った顔を見遣って真実が言うと、嘉彦はまったく悪怯れもせず頷いた。
「俺、別に、今日の当番がセンパイだとも言ってねーだろ」
「……。ありがとな」
 嘉彦が自分を助けてくれたのは、明白だ。真実が礼を言うと、嘉彦がひょいと肩を竦めた。
「俺、あいつ嫌いなんだ」
「そっか」
「早漏だから」
 どうして、とは聞かないつもりで相槌を打ちかけた真実は、無造作に嘉彦から出た言葉につい返答を詰まらせた。
「……御倉と?」
 どう訊ねるべきか、考えあぐねて真実が何とかそう訊いてみたら、嘉彦は廊下を折れ曲がって階上へと続く階段を上り始め、戸惑う真実を振り返ると、目を細めるやり方で笑って見せた。
 真実の目から見てもやっぱり綺麗で、艶っぽい表情だった。とても自分よりも年下の、まだ十五、六歳の少年がするものとは思われないほど。
「御倉じゃセンパイには不足だよ」
「え?」
「あいつ、ナリがデカくて、子供よりは力があるだけの実は小心者だし、きっと持て余す」
「……俺を?」
「そう。センパイみたいに根性据わってないし、あいつ」
 それがまるでわかりきったことだというような口調の嘉彦に、真実は困惑した。
「俺だって、ただの小心な卑怯者だよ」
「それにしたって、筋金入ってるように見える」
 言いながら、嘉彦が段差の途中に腰を下ろす。
 真実は自分ひとりで部屋に帰ってしまう雰囲気ではなかったから、仕方なくその場に留まった。
「ユウジって誰?」
「!」
 前置きなく出てきたその名前に、真実は目を瞠った。
 嘉彦がそんな真実の反応を、興味深そうに見守っている。
「何で、名前……」
「センパイ、寝起き悪いよな。俺のこと誰と間違えてんだって時がちらほら」
「……嘘」
 思わず、真実は赤くなった顔を片手で覆った。寝惚けて裕司の名前を呼んだのだろうか。まったく自覚がなかった。
「うわ、嘘、恥ずかしい……ごめん」
 真実はついでにもう一方の手でも顔を隠し、思わずその場にしゃがみ込む。
「別に謝ることじゃないけどさ」
 嘉彦が、そんな真実のことを、興味深そうに眺めていた。
「夜、たまにひとりで考え込んだりしてるのって、そのユウジってひとのせい?」
「……鴫野は、他人のことに興味がないと思ってたけど」
 嘉彦の質問には答えず、真実は熱くなった頬から手を離すと、じっと自分を眺めている相手の方に視線を向けた。
「相沢センパイのことはおもしろいなあって思うよ。宗教とかやってんの?」
「宗教? いや、やってないけど。何で?」
 不意に飛び出してきた不可解な台詞に真実が首を傾げたら、嘉彦も一緒になって「ふーん?」と首を傾げる。
「何だ、俺の勘も外れだな。殉教者ってこんな感じかなって思ってたんだけど」
「そんなふうに見える? 俺」
「うん。こんなクソつまんねえ場所で平然としてんの、そのせいじゃなかったのか。ユウジってのが、教祖さまで」
「……ああ」
 今度は少し理解できて、真実は頷いた。
「信じてる大事なものがあるのはたしかにそうだけど。神さまを信じるみたいな崇高なものじゃなくて、もっと生々しくて醜いものだよ」
「信仰なんてそんなもんだろ」
 嘉彦が立ち上がり、服についた埃を手で払った。
「俺、今晩泊まるから。また明日」
「え、泊まるってどこに」
「スイートルーム」
 天井を指さして、嘉彦が再び階段を上り始めた。この上の階には生徒用の部屋はなく、あるのは寮監用と部屋と倉庫と反省室だけだ。
「でも、さっき帰ってきたばっかりだろ?」
 この短期間の間に、再び反省室送りにされるようなことを嘉彦がしでかしたとは真実には思えない。だとしたら自発的に反省室に出向くことになるが、その理由も真実には思いつかなかった。
「他の人には内密でよろしく」
 真実の言葉には答えず、嘉彦はひらひらと片手を振りながら階段を上っていってしまう。
 ――元より、嘉彦が頻繁に呼び出されるほどには彼が反省室行きになるほどのことをしているわけでは、決してないのだ。
 何のために呼び出されたのか同室である真実も知らず、嘉彦が話したこともない。
「今晩ったって、まだ昼間じゃんなあ……」
 腕時計を見て呟いてから、真実はもう飲み物を買ってくる気力を何となく失って、そのまま自室へと戻った。
 部屋ではまだ池内がぶつぶつと勉強を続けていて、それをBGMに真実もテキストの続きを開いた。

おうちのひみつ

Posted by eleki