KOKAMI@network vol.17「地球防衛軍苦情処理係」

近未来。地球は異星人や怪獣の襲撃を受けていた。
そして、人類を守るために地球規模で創設されたのが『地球防衛軍』だ。
戦うエリート、人類の希望の星。けれど、光あるところ、必ず、陰がある。
地球防衛軍が怪獣と戦った結果、さまざまな場所で壊滅的な被害を受けた住民達が、抗議の声を上げた。「私の家は、怪獣ではなく、地球防衛軍のミサイルでやられた。弁償して欲しい」「怪獣を私の家の方向に誘導したのは、地球防衛軍だ。許せない」
苦情処理係は、毎日、住民達のクレームの処理に追われていく。
苦情処理係は悩む。
私達は人類を守ろうとしているのに、どうして、住民は文句を言うのだろう。
私達は誰を守っているのだろう。
住民は守られることが当然だと思っているのだろうか。
数々の疑問を飲み込みながら、苦情処理係は、活動を続ける。
それが人類のためになると信じて。人類の苦情を引き受ける。
そんなある日、ハイパーマンが現れた。

「これは絶望と希望の物語です。」

それはもう大変鴻上さんらしい舞台。

私は鴻上さんのお芝居ではもうぶっちぎりに「天使は瞳を閉じて」が大好きなんですが、

それに継ぐ、刺さる演目になりました。

ジャニーズの人たちがいたので、さすがダンスがキレキレ。
大高さんは安定の大高さんで、苦悩する元パイロット・宇宙人側の人と、重たく、軽妙に演じていて最高でした。
ヒロインの駒井蓮さんがスルッと細いのに動きが抜群だった、特に彼氏にマウント取ってボコボコに殴るところとか…すごくよかった…。
眼鏡の上司はどこかで見たことあると思ったら、まんぷくの銀行の人だ! 嬉しい。

ハイパーマンと怪獣が戦うシーンの演出がすごく好きで、生身の役者さんが地球人に擬態したハイパーマンと怪獣の中の人が戦い、その手前で、ハイパーマンと怪獣の着ぐるみが、人間体とまったく同じ動きで戦うんですよね。あれはすごくよかった。
その他、「怪獣もの」を舞台で演じる上で、いろいろと面白い表現法ばかりで、本当に楽しかったです。

お話は、あらすじの時点でわかっていたけれど、自分にとってはすごく気になる題材で、そのテーマを抱えたままお話がどう動いて、転がって、収束するのか、笑ったり悔しくなったりハラハラしているうちに、二時間あっという間に終わってしまった。

「面白うてやがて悲しき」という、鴻上さんがよく口にする言葉をありありと感じる二時間でした。

これ、テレビでやらないかなあ。テレビ用に作り直して放映してくれればいいのにな、いろんな人が観たらいいのにな、と思った。


観劇している間も、観終わって少し経った今も、自分の中で答えが出ないことがあります。
(ネタバレになるし、文字だとやっぱりニュアンスが変わってしまうので、舞台を見てない人はここから先は読まないでください。で、まだまだ公演が続くので、ちょっとでも気になったら、チケット取ってとりあえず実際に観に行ってください)

劇中、家族を地球防衛軍の放ったミサイルに殺された男が出てくる。
彼は地球防衛軍を恨んでいて、一生許さないと、怒り続けている。
怒っているけれど、仕方がないのはわかっている。ただせめて、パイロットと一緒に、亡くなった家族を思って泣いてほしかったと思っていた。

一方で、ミサイルを発してしまったパイロットがいる。怪獣に当たるはずだったのに、寸前で避けられて、背後の民家を住民ごと壊してしまったのだ。
パイロットはとても悔いているけれど、謝ってしまう=間違いを認めてしまうと、後進のパイロットがミサイルを撃つことに躊躇するようになってしまう。だから、謝ることができない。
彼は償いのため、被害者の気持ちと寄り添うため、 パイロットを辞めて、地球防衛軍に苦情係を立ち上げる。

理屈で考えたら、パイロットは、というか地球防衛軍は謝ってはいけないと、わかります。
謝れば、ミサイルを撃つための障害が増えてしまう。謝ることでさらに被害者が出る流れになってしまうから、大勢を救うために自分の過ちを認めてはならない。

でも、ただ「一緒に泣いてほしかった」と思う被害者の気持ちも痛いほどわかる。泣いて家族が帰ってくるわけじゃないけれど、そうすることで残された者の気持ちが救われて、この先も生きていける、地球防衛軍を応援できるようになるなら、こっそりと、非公式にでも、謝れないだろうかと考えてしまう。

非公式にでも、と思ってしまうんだけど、劇中でそれに関する結果が提示されていて、「被害者に同情した隊員が、こっそりと、被害を盛って罹災証明書を発行した」結果、被害者以外の人にそれが漏洩して、脅迫されてしまうという流れがあるんですね。

「非公式で、こっそりと」は、どんな場合でも現実的に無理なわけです。
また本当にうまくできたお芝居で、家族を殺された被害者の人が、別のことでクレームを付けた時、苦情係が謝罪してしまい、「謝ったな、罪を認めたな、なら補償しろ!」「拡散してやる!」と声高に叫ぶシーンがある。

必ずどこからか話は漏れて、取り返しの付かないことになるかもしれない。
だからやっぱり、謝ってはいけない。
理屈としてはすごくわかる。
被害について、人間の命について軽々しく思っていないからこそ、謝罪することができないジレンマが生まれてしまう。

どうするのが一番いいんだろうな、と、そこに答えが出せないままです。
被害者は専門家のカウンセリングを受けて、社会生活が送れる程度に立ち直ることはできるかもしれないけど、失ったものが補填されるわけではない。永遠に悲しみや後悔を引き摺って生きなければならない。
何の罪もない人が、世界平和のために心を犠牲にされ続けていいのか。

舞台でもその答えは出さず、でも「出さない」というところに、むしろ希望を見いだしたりもする。

本当に、いい舞台だったなあ。また観たい。


で、ここから、舞台の感想というより、舞台を見て考えた自分語りになります。

私は常々、「村人にはなるまい」という自戒を持って生きています。
「村人」っていうのは、たとえば「犬夜叉」によく出てくる、得体の知れないもの=主人公たちに怯え、いらんことをして、主人公たちの足を引っ張る善良で無知な人々のことです。
無知であるがゆえに、目の前に見えるものを見えたまま判断して、結果(主人公や村人自身にとっての)敵に有利な行動をしてしまったり、主人公をピンチに陥れるような行動をしてしまう。

物事を一面でしか捕らえられず、自分の狭い視界、少ない知識だけで相手を悪と断じてしまう。

あるいは、テレビでイチローが三振した時に「下手くそ! あんな球、俺だって打てらあ!」みたいにくだを巻く人がいたりする。
そこに至るまでにイチローにどれだけの努力があったのか、好きとか辛いとか妬みとか尊敬とか誇りとかがあったのかを一切無視して、気軽に相手を貶めてしまう人間には絶対なりたくない。
イチローのことはよく知らんけど、生半なことでは至れない場所に至った人だというのはわかる。
だから日常のちょっとした憂さ晴らしのようなものであっても、本人に届かない悪口であっても、言いたくない。

「地球防衛軍」に関してなら、広報が足りないからとか、怪獣を倒す技術力が足りないからとか、防衛軍側にクリアするべき課題はあるけど、何をどうやったって完璧に、誰も殺さず何も壊さず怪獣を撃退することは現実的に不可能な中で、軍の人たちは命を賭して戦っているわけです。

でも自分の被害しか見えない人たちは「自分が傷つけられた」ことに怒り、「手を抜いたんだろう」と責め立てる。「国民の命や生活を軽視しているんだろう」と断じる。

そんなわけないだろう、と思うんですよ。地球防衛軍になんて、相応の覚悟がないと入れない。たとえば他に就職先がなかったからとか、給料目当てとか、名誉が欲しいとかが何パーセント、何十パーセントかあるにせよ、戦わずに文句を言っている人よりははるかに純粋に「人を守りたい」という決意があって、覚悟を持って、自分の身を犠牲にしているわけですよ。

その志を貶めるようなことを、絶対に言いたくないし、彼らの戦いを邪魔はしたくない。

スパイダーマンが街の危機を救うためにデートに遅れた時、それを知らずに「私が大事じゃないから時間を守らないでしょう!」と怒るガールフレンドになりたくない。

まあスパイディも事情説明した方がいいし、事情もわからないのに物わかりよくいるのも妙じゃない? とも思うんですけど、とにかく、自分はそういうポジションにいたくないから、怒るとしたら自分の憶測で自分の感情を見だしてからではなく、きちんと事情を聞いた上で「ふざけんな先に言え、言われなければわからないだろう」とぶん殴りたい。

日頃こういうことをあんまり言葉にして言わないようにしているんですけれども。
でも最近、本当に身近な数人だけにでもいいから伝わったらいいな、伝わらないにせよちょっとだけ考えてもらえたらいいなという願いが強くなってきたので、ついでのように書いておく。
もし誰かに対して感情的な厳しい言葉を向けたり、呟かずにいられない時があっても「なぜそうなったのか」を感情抜きで、事実から考えて立ち止まってほしなあっていうことを。

いやこの辺は、割とブログにも書いてるかもしれんな、東日本大震災の時とか、青少年育成条例の時とか。

自分が不利益を被った(と思った)時って、被害者意識が強くなるので、「そんな被害を与えた相手は自分に悪意があるに違いない」って思い込みがちじゃないですか。被害者だから当然なんですけど。
悪意とまではいかないけど、「相手が利益を得るために自分が損をしている」「相手は意図的にこちらに被害を与えている」とか、傷ついた気持ちから逆算して相手の意図を感情的に測ってしまうというか。

大体は、そんなことないんですよ。
ミサイルは民間人に当てようと思って撃っているわけじゃないし、謝罪しないのは悪いと思っていないからではない。
「もっと精密な誘導装置を開発しろ」と提議するのはいい、「家族を失って辛いから一言なりとも謝罪が欲しい」と訴えるのはいい、でも「本当は最初からミサイルを当てるつもりだったんだろう、実は怪獣と癒着していて地球を売って自分だけ利益を得るつもりに違いない」とか言い出して噂をばらまいたり、「謝罪しないのは人の命を軽く見ているからだ」と捻じ曲げていくことは、どうかふんばって留まってほしい。

みたいなことがね。これを見た何人かにだけでも伝わるといいなあ。
思うに任せて書いているので、伝わる気もしないんですが。

正義って何だろう、みたいなことが繰り返し問われる舞台で、私も、正義って何だろうと考えたけどわからなくて、ただ「自分がみっともなくなりたくない」みたいな見栄で生きてることを再確認するのだった…。

なんかオチとかない日記ですみません。書いとこと思ったからつらつら書いてみました。

舞台

Posted by eleki