急に思い出したネイルの記憶

最近セルフネイルをしまくっていたので、気づけば爪がボロボロになってしまった。しばらくお休みしよう…。

つるつるになった何もついてない自分の爪を見て、ふと思い出した。
十年前に父が亡くなった頃、ずっとジェルネイルをしていて、危篤だと連絡が来て父の運ばれた病院に向かった時も、ネイルアートが残ったままだった。

ジェルネイルというのは自力でオフするのがなかなか難しく、私は面倒なのでお店でオフしてもらってすぐにまた新しくネイルアートをお願いする、というのを三週間に一度くらい繰り返していた。

父はもう、二、三日しか持たないだろうと言われていたので、覚悟を決めて、喪服を鞄に詰め込んで実家に戻った。

それが、奇蹟的な偶然で二週間ほど持ちこたえた。
末期癌だったので回復のしようはなく、病室についた時にはもう数秒後に息を引き取っていても不思議ではないと主治医に言われる状態で、二週間。

病院は実家から一時間以上かかる県外にあって、泊まり込みはできないので、実家を往復している間に、家で休んでいる間にも、離れた隙に亡くなるかもしれないという緊張感でずっと過ごしていた。
とはいえ父は意識もはっきりしていて、喋ることも出来たし食事も取れていた。
入院するのもたびたびのことだったし、今回も退院できるのでは? とチラッと思ったところで主治医に呼ばれ、「希望を持たせると悪いので言っておきますが…」と改まった調子で伝えられた。
何でも体内出血したらあっという間なんだけど、体内に出来た腫瘍が血管に空いた穴をうまいこと塞いでいて持ちこたえている、ということらしかった。
「数値的にはもう死んでいます」
とはっきり言われた。数値的にはもう死んでいますっていう言葉がなかなかの迫力で、一緒に話を聞いた母と兄と、何だか笑ってしまった。そうか、数値的にはもう死んでるのか。

それでもまだしばらくはいつもの入院のお見舞いみたいな気持ちでいたのだけれど、一週間を過ぎてさすがにそろそろ食欲もがくんと落ち、ガリガリ君しか口にできなくなってきた頃、母がふと私の爪のジェルネイルを見て「そろそろ、それ、落とさなくちゃね」と言った。

「そうか、そろそろ、落とさなくちゃいけないんだなあ」
と思って、しみじみと自分の指を見た。
もうすっかり根元の方は自爪が見えているけど、伸びたところをカットした程度では間に合わないくらいには、しっかりネイルがくっついている。

同じ頃に、父の姉(つまり私の伯母)から、「奈穂ちゃん、今こんなこと言うのも何だけど、そろそろお葬式の手配をしないとね」と言われた。
伯母は年の離れた弟を溺愛していたので父の様子をとても悲しがっていたのに、それはそれとして、現実的なことをしっかり考えて忠告してくれるんだなあ、と妙に感心したのを覚えている。

それで自分がジェルネイルをどうしたのかは、実は、覚えていない。
病院の周りには不案内で、そもそも実家を出てずいぶん経つから、どこにネイル屋があるかなんてよくわからなかった。
だから店には行かず、自分でヤスリで削って除光液に浸してオフした…のか?

今思い出せないことにびっくりしている。どうだったっけ。
葬儀の時はちゃんとオフしてあったのはたしかなんだけど。

ネイルのことは覚えていないが、父が亡くなるまでの間に、私はネットで葬儀について調べた。
すると地元の葬式の相場は、なんと約300万円だった。驚いてちょっと声が出た。
もし地元の病院で亡くなり、病院伝で斎場の手配をした場合、地元の人間関係とか見栄や体裁や利権のあれやこれやで、だいたいそれくらいかかるということらしい。十年前としても、全国の相場と比べてかなり高い。
別の県で入院しているのが幸いだと思った。それに実家は父の亡くなる数年前に引っ越してきた土地なので、特に何のしがらみもない。
いろいろ調べたり比較して、最終的に、全国的に展開している葬儀屋と契約した。
運がいいことに、我が家の担当者がとてもいい人だった。
ご自身のご母堂が亡くなられた時に葬儀屋にぼったくられてひどい思いをしたので、自分は大事な人を見送る時にご遺族に嫌な思いをしてほしくない…という一心で働いているという。
偶然ながら、お母様は私の父と同じ病気で亡くなったらしい。

基本的なプランから、「これとこれはいらないので、はぶいて大丈夫です」「その分で、ここをちょっと盛りましょう」みたいな調子で、お金をかけないところ、かけるところを親切に教えてくれた。
おかげで父の葬儀は、なかなかいい式になったと思う。趣味のものを並べるコーナーが評判よかった(気がする)。父は一人乗りの飛行機が趣味だったので、空を飛んでる写真を飾った。

最終的には、地元の相場の半分以下に抑えられた。
その後お墓も購入したので(兄が)、お葬式というのは本当にお金がかかるのだなあ、と愕然としたものである。

父が亡くなったのがゴールデンウィーク直前だったもので、それから一週間くらい、火葬場も葬儀場も空きがなかった。
なので、茨城の病院の霊安室から運び出した父を葬儀屋さんのワゴンに乗せ、母と兄と一緒に埼玉の実家に帰った。ちなみに県をまたいでの移動だったので、これもなかなか料金がかかった。
葬儀屋さんの運転はおどろくほど丁寧で、少しの振動でも「失礼いたします」と声をかけて、ほんのちょっとだって父を傷めないように細心の注意を払ってくれた。

そこから一週間、実家の父の仕事場(自営業だったので、家と仕事場がくっついてた)をキンキンにクーラーで冷やしてに父を寝かせ、ドライアイスで周囲を囲んで、私はその隣にノートパソコンを持ち込んで仕事をしていた。

たまに兄の子が部屋を覗き込んで、「じいじ寝てるの?」などと聞くので、おいやめろと思った。おいやめろ…。

じいじは毎日訪れる葬儀屋さんにドライアイスを交換してもらって、納棺の時まで、一週間ずっと家にいた。
もしかしたらこの間にネイルをオフにしたんじゃという気がしてきた。いやでも、思い出せないなあ。他のことは結構詳細に覚えてるのに何でだ。

またお金の話になるけど、父は肝炎を患っていたので、遺体の処理にまた幾ばくか料金が上乗せされた。でも毎日のドライアイス交換はサービスだった気がする。
葬儀屋さんは本当に家族の心に寄り添って何くれと、「こんなことまでしてくれるのか…」と思うようなことまでしてくれて、言ってくれたので、あの会社のあの担当さんと出会えて本当に運がよかったなあ、と思う。
父の直後に伯母の旦那さんが変死して、そのお葬式がなかなかにひどい修羅場だったので、よけいに。

毎日クーラーと冷気で冷やされたは一週間後に無事家から運び出され、荼毘に付した。
斎場を借りて葬儀を挙げたんだけど、変に気を回した父が「面倒だから、仕事先には連絡しなくていい」と母に言っていたらしく、自営業の父の取引相手は一人も葬儀にこなかった。
葬儀の途中で父の携帯電話が鳴り、私が出ると取引相手の一人で、普通に「仕事お願いしたいんだけど」と頼まれた。滅茶苦茶動揺した。
「あー、あの今、お葬式で」
「えっ、誰の?」
「父の…」
「ええー!?」
という、コントみたいなやりとりがあった。
葬儀ハイだった私は一人でヘラヘラ笑ってしまった。

仕事相手には連絡しなかった割に、葬儀には思ったより大勢の人が来てくれて驚いた。
家族に対しては偏屈だった父だけど、交友関係は広かったみたいで、一番驚いたのは隣の家の中学生がわざわざ来てくれたことだった。父は趣味でアマチュア無線をやっていて、隣の中学生もハムだったので、いろいろ教えてあげていたらしい。
近所の人の口から聞く父は、明るくて社交的で、とてもいい人だったようで、ものすごく不思議な感じだった。

私は父が亡くなって十年、二回しかお墓参りができていない。
亡くなった日も勘違いして覚えていたと最近気づいたんだけど、なぜか、誕生日だけははっきり覚えている。
今月誕生日だねえ、お父さん。

生前も特段父の誕生祝いなどした覚えもないのに、7月23日という日付がちょっと特別な感じになっている自分が、不思議だなあと思う。

などということを、自分の爪を切りながらつらつら思い出してしまったよ。
ネイルの記憶じゃなくて父の記憶になっちゃった。

エッセイ

Posted by eleki